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輝く男性インタビュー

「ぼくはラッキーの塊」仲間との遊びではじめたブレイクダンスで世界大会へ。42歳、進化するブレイクダンサー BBOY O-HASHI (本名:大橋敏幸)さんインタビュー

2024オリンピックパリ大会での正式種目の候補となり、日本におけるブレイクダンスの注目度は急上昇。これを機に、日本がブレイクダンスの強豪国であることを知った人も多いのではないでしょうか?じつは、大橋さんが日本代表として出場した2000年のブレイクダンスの世界大会 Battle of the Year (以下BOTY)で日本勢初の表彰台にのぼったのを皮切りに、日本は上位入賞常連国となり、名実ともにブレイクダンス強豪国といわれるようになりました。世界大会当時20代だった大橋さんは、今年42歳。ブレイクダンスのカリスマとして、日本のブレイクダンスにどのように関わってきたのか、また、神奈川県のさまざまな場所で子ども向けのブレイクダンスワークショップを開始するなど、さまざまな活動を通してこれから世界と闘う日本のブレイクダンサーたちに、今後どのように関わっていくのか、お話をうかがってきました。

聞き手:たいせつじかん編集部

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BBOY O-HASHI(大橋敏幸氏)

■ブレイクダンスはこわい集団? 「B」が示す、本当の意味は?

―本日はよろしくお願いします。開口一番で大変失礼かとは思うのですが、「やさしそうな方でよかった」と、少しほっとした気持ちです(笑)。近ごろは、習いごとでダンスをする子どもが増え、ダンスが身近になってきていますが、ブレイクダンスというと駅にたむろして大きな音でダンスをしているこわそうな集団というイメージがあったので。

大橋さん:そうですね(笑)。そういう印象をおもちの方もいるかもしれませんね。でも「それではいけないよね」ということで、イベントなどで初めてブレイクダンスを観るという方と会う機会があれば、そんなイメージに対して「そうじゃないんだよ」ということを伝える活動もしてきました。今日のインタビューで、ブレイクダンスやその魅力が、よりたくさんの方に伝わればうれしいですね。ちなみに、私のダンサーネーム[BBOY O-HASHI]の“B”は何のBだと思いますか?

―え?直感的には・・・[BAD BOY]=[悪い少年]=[不良]の“B”だと思っていましたが。

大橋さん:違うんですねー。このBはbreakつまり、ブレイクダンスの“B”です。そして、このbreakも[壊れてる]=[頭のいかれた]とイメージする人がいますが、こちらも間違い。音楽の間奏を「ブレイク部分」というのですが、この「break」です。DJが歌のない、メロディやビートだけの短い数秒の間奏を、右と左のターンテーブルでつなげてエンドレスで流れる音楽をつくり、その音楽に合わせてダンスや技を取り入れて踊ったものがブレイクダンスの発祥と言われています。音楽の影響によってできたダンス「BREAK DANCE」。その「BREAK」をとって、ブレイクダンサーを「BREAK BOY/GIRL=BBOY/BGIRL」というわけです。決してBAD BOYやBAD GIRLの略ではないんですよ(笑)

―そうなのですね!驚きました。では、ブレイクダンスを他のジャンルと分類するとしたらどういったダンスになるのですか?

大橋さん:少し専門的な話になりますが、ダンスはオールド・スクール(古いダンスのスタイル)とニュー・スクール(新しいダンスのスタイル)に分けることができ、ブレイクダンスはロックやポップなどとともに、オールド・スクールといわれています。ちなみに、今習いごとで人気があるヒップホップダンスは、ニュー・スクール。オールド・スクールから派生や変化をしてきた形のダンススタイルです。ブレイクダンスにはいくつかの要素があるのですが、みなさんがブレイクダンスの動きのイメージがつきやすいのがパワームーブという回転系の動きじゃないでしょうか。

―大橋さんがバトルで踊る映像でパワームーブを拝見しましたが、衝撃でした。どうやって動いているのかさっぱりわかりません!器械体操の技に似ているようにも思いますが、音楽があるからか、まったく違う印象を受けますね。大橋さんが技をきめるたびに、会場のボルテージがどんどん上がっていくのを感じました。

大橋さん:そうですね。DJや観客の声援や会場の一体感はダンスならではかもしれません。また、ダンスの中のアクロバットは助走をつけられないので、その場でできるような技に特化していて、体操のアクロバットとは異なるジャンルといえるでしょうね。

―いずれにしても、このようなアクロバットな動きを身に付けるのは簡単なことではないですよね。

大橋さん:私の場合、小学校3年生くらいのときには、遊びの中でバク転を覚えていました。家の布団で練習をしていたので、両親によく怒られましたが(笑)。高校に行くと、同じ団地にいたガキ大将だった先輩が器械体操部に入っていることを知り、その人へのあこがれもあって器械体操部に入ったので、これらの経験も生きていますよね。

―独学でバク転ができたり、10代半ば過ぎてから器械体操を始めたりと、大橋さんは身体能力が優れているということなのでしょうね。

大橋さん:うーん、どうなのかな?私はどちらかというと何をやっても時間がかかる方かもしれません。あるところまではパッとできるのですが、そこでパッと止まってしまう。自分の納得がいくレベルまでやろうとするので、実際は相当の時間がかかるタイプです。また、器械体操の技に関しては、比較的習得は早かったのですが、ダンスへ移行するのはかなりの時間がかかりました。リズム感がないし、当初はまったくダンスに見えませんでした・・・。

 

―ダンスを始めたきっかけは何だったのですか?

大橋さん:高校3年生で部活を引退すると、放課後何をしていいかわからなくなって。友だちと集まって「さて、何をしようか」となった時、ちょうどお笑い芸人のナインティナイン岡村さんが、ブレイクダンスで有名だったタレントの風見慎吾さんと、芸能人でいちばんうまいブレイクダンサーを決めるというようなテレビ番組が放映されていて。番組でダンスを見ては、「これやってみようぜ」とまねする遊びが始まりました。器械体操をやっていた仲間がほとんどですから、まねっこするといっても、まあ、本気ですよね(笑)。当時はインターネットもありませんでしたから、その番組以外にはあまり情報もなく、そのうち、仲間がいろんなビデオを借りてきて、これだ!と思うシーンを探し、一瞬映るある技を繰り返し見ては、再現するということを繰り返すようになりました。それでもその当時はただのまねっこ。ダンスにはほど遠いものでした。

―それでは、本格的にダンスに取り組み始めたのはいつだったのでしょうか?

大橋さん:専門学校を卒業して働きだしてからです。在学中も高校と同じような感覚でダンスを続けましたが、徐々に熱を帯びはじめ、卒業して就職した20歳過ぎころから自分の時間ができてどっぷりのめり込むようになり、24歳には世界大会へ出るようになっていました。

―すごい!世界大会出場なんていったら、会社の人たちは大騒ぎだったんじゃないですか?

大橋さん:いえいえ、まったく。正直、当時ブレイクダンスはまだまだ一般の人には身近ではなかったですから。2000年の世界大会へ行くための日本予選で、最有力だといわれていたチームを、私たち(早稲田ブレイカーズ)が破り優勝して、ダンス界ではちょっとしたどよめきが起こったのですが、会社では誰にも気づかれない。表彰台に上った世界大会へ出るときも、仕事場では「大きな大会があるのでその日は休ませてください」くらいの感覚で、28歳くらいまでは、メインは仕事、あくまでダンスはプライベートでした。

■次なる道へ―ストリートダンスだからつながった人・地域・思い

ダンス大会の様子

―世界大会などのさまざまなタイトルを獲得していくなかで、テレビ出演やDVDセールスなどが始まり、大橋さんのダンスは、プライベートからメインの位置づけになったのですね。そのころ活動していたユニット、ISOPP & O-HASHIは、ダンス界では知る人ぞ知るカリスマ的存在だとうかがいました。ユニットとして活動していた当時のことついて教えていただけますか。

大橋さん:ISOPP & O-HASHIでは、メディアの露出も多かったですし、日本でいちばん活動したグループですね。DVDのセールスでは、行かなかった県がないくらい日本中をまわりました。また、このユニットの活動で、私の意識が変わったともいえます。

―どのような変化があったのでしょうか?

大橋さん:テレビに出たりすることで、自分たちはブレイクダンスのことをきちんと伝える責任を感じ始めました。それまでは、ブレイクダンスはアンダーグラウンド、普通の人には理解されないし、それでもいいと思っていました。しかし、地方のイベントをまわると、その会場は一般的なショッピングモールだけでなくホームセンターやレンタルビデオショップということあり、そこに来るほとんどの人は、ブレイクダンスに関心がないのです。お年寄りもいれば、子どももいる。ブレイクダンスを伝え、この人たちの関心をつかむということは、とても大切な経験となりました。私は元来、とても人見知りで子どもが苦手でしたが、この時の経験が今の私の活動にとても大きく役立っていると思います。

ブレイブダンスワークショップのチラシ

地域で開催されているブレイクダンスワークショップのチラシ

 

―そうなのですか??大橋さんの「はじめてのブレイクダンス」という、小・中学生向けワークショップ風景も拝見しましたが、とても子どもが苦手のようにはみえませんでした。それに今も、子どもを対象としたマット運動やダンスの教室を主催されていますよね?

大橋さん:子どもは本当に苦手でした。できれば関わりたくないと思っていました。実際のところ、今の教室ももともとは子ども向けのクラスのつもりはなかったのです。でも、なぜか子どもが集まってくる現象が起こって(笑)。本来はおとなも参加できるし、親子で参加している方もいます。地区センターやコミュニティハウスなどの地域施設で開催していますので、親子や子どもとのつながりができるのでしょうね。今は子どもだちのことが大好きですし、子どもに対する苦手意識の克服に関していえば、ISOPP & O-HASHIでいろいろな人と交流してきた経験が生きていると思います。

―いわゆるダンススタジオではなく、地域でダンスを教えるのはなぜですか?

大橋さん:私は最初からこのスタイル。最初から地域の人に教えていました。ブレイクダンスはストリートダンスですから、踊る場所を求めて、自分の駐車場や駅で段ボールを敷いて練習をしていると、通りがかりの地域の人が「何やってるの?」と聞いてきて、何度も見ているうちに「教えて」となっていきました。でも、駅でやると酔っ払いにからまれたり怒られることもあって。どこか室内で練習するところはないか…と探し、地区センターなどの地域施設を使わせてもらうようになりました。でも、当時はブレイクダンスのイメージはあまりよくなく、使えなくなる施設もでてくるなかで、「駅で一生懸命練習している姿を見たよ」というある地区センターの館長さんに出会い、よいつながりができて広がりを続けてきたという感じです。

―ストリートで踊っていたからこそ、いろんな人がブレイクダンスを見たり触れたりするきっかけができたということですね。

大橋さん:そうですね。近ごろは、ストリートダンスも教室で習うというスタイルが定着してきましたが、その時代に切り替わる時には、私も含めてみんな悩みました。ストリートじゃないところでやるダンスって、ストリートダンスっていえるのか?と。でも、私は今、ストリートでやるだけが正解ではないと思っています。ストリートでやっても教室でやっても、どちらも進化するのです。ミュージシャンと同じ。ストリートミュージシャン、スタジオでやる人、専門学校で学ぶ人。どっちからでも行ける道ができたことがラッキー。誰もがダンスをするきっかけをもてることが大切だと思います。

ブレイクダンスワークショップの様子

―ダンスを取り巻く環境が変わって、学校教育にもダンスを取り入れるようになりましたね。子どもたちにとって、ダンスから学べることはどんなことだと思いますか?

大橋さん:今の子どもは習うということに慣れてしまっていて、自分で考える力が低下していると感じます。ブレイクダンスの技ひとつでも、「これはどうやったらできるのだろう?」と考えられる子は、コツを教えてもらっても考え方のプロセスが違ってきます。私の教室でも常に「自分で考えて」と促します。すると、長く通っている子は、ダンスの場面以外でも、言葉で伝えるだけで、自分で考えて行動するプロセスができあがっています。このように、ダンスで学べることは、そのほかの生活にも役立っていくのだと思います。

―確かに、今の子どもたちは、先生から教わることを従順に覚えて身に付けるパターンに慣れてしまっていますよね。また、インターネットが当たり前にあるなかで、コツやヒントなどの情報にあふれている。大橋さんのように、情報の少ない中で、分析・研究して何度もトライして試行錯誤する経験が今の子どもたちには少ないといえるのでしょうか。

大橋さん:そうですね。また、「失敗の機会」も少ないなと思います。親御さんが、子どもが木に登ると「危ないからやめなさい」と止めてしまう。こけると危ないから、その前に手助けしてしまう。こけた時に支える手が反射的に出ない子が結構たくさんいます。子どもはおとなの先回りの保護によって、この先のどうなるかを想像することができなくなってしまっています。私の考えではありますが、ケガしても、動けるケガなら大丈夫。子どもには失敗をどんどん覚えてほしいと思っています。ダンス教室でショーに出る場合も、本番をきっちり仕上げる先生もいますが、私は本番で失敗してもいいと思っています。そこで大恥をかいた経験を受け取って、その子がどう変化するのかに期待しているのです。

ブレイクダンスワークショップの様子2

■努力と継続により興奮と喜びが続く、それがブレイクダンス

アクロバットなダンスをする大橋さん

―2024年のパリオリンピックの正式種目候補としてブレイクダンスの名前があがり、日本においてもブレイクダンスへの注目が急上昇しています。これについてどう感じられますか?

大橋さん:私がブレイクダンスの世界大会に出場していたころと比較すれば、ブレイクダンスの認知度はずいぶん上がっています。しかし、じつは日本はブレイクダンスの強豪国であるということはあまり知られていないと思います。

―え?日本はブレイクダンスの強豪国なんですか?!

大橋さん:世界大会BOTYにおいては、私が出場した2000年以降、日本チームが表彰台に幾度となく上がり、2017年に前人未到の3連覇を達成しています。また、女性の活躍もめざましく、BGIRL 2on2(現在1on1)では10連覇の快挙。Red Bull BC One World Finalという1on1の頂点をめざす大会においては、2018年BGIRL部門が新設され、初代女王に日本人BGIRL、また、ベスト4のうち3人が日本人という結果を出しています。

―そんな快挙なのに、まったく知りませんでした!!

大橋さん:先日は川崎でユースオリンピックの予選会が行われました。このように、日本がブレイクダンス強豪国としてどんな役割を果たしていくかということが重要になってきます。だから最近では、私はブレイクダンスの入口のひとつひとつを大切にする活動に力を入れています。バブリーダンスで有名な登美丘高校などが出場している「日本高校ダンス部選手権」の審査員をさせていただいたり、各地でのワークショップ、初めてブレイクダンスを経験する子どもたちにむけた体験会や小学校での芸術鑑賞への出演などを通してブレイクダンスの魅力を発信し続けています。

ブレイクダンスの様子

―伝えるという活動を大切にされている一方で、大橋さんのブログを拝読すると、とても厳しいトレーニングを毎日続けているように見受けられますが、これはどうしてでしょうか?

大橋さん:今年42歳になるのですが、ブレイクダンスをするには結構難しい歳になりましたが、その歳に見合った動きを見つけながら、まだまだ成長できると感じています。いまだに回転系の技は私の代名詞。それは、毎日のトレーニングで支えられています。もちろん、年齢相応の課題もあります。アキレス腱を切るなど大きなけがをしましたが、医者には「この年齢でこんなことやっていたら当たり前」といわれました(笑)。でも、そういう時があったからこそ、「こういう動き方だと楽なんだ」とか、地味だと思っていた動きがやってみたらおもしろい、「もっと若い時に知りたかった」と気づいたり。今の自分に合った踊り方を見つけた時は楽しいです。

―最後に、ブレイクダンスの魅力について教えてください。

大橋さん:ブレイクダンスは本当にたくさんのステップや技があります。これができてもこれがまだある、ありすぎて、やればやるだけ出てくる、つまり、努力や継続により「目標達成した時の感動・喜びに終わりなく出会える」「常に進化をする」、そんな魅力があります。私の場合は、毎週体操場の練習会に参加しては、新しい技術を身に付けたり、違う畑のアスリートたちと情報交換したりして、アクロバットの基礎とパルクールの基礎を合体させ、自分なりの技を試行錯誤させながら、ダンスに取り入れられるものを探しています。相手の動きより上手に見せるために、オリジナルを磨いていく。今あるものがすべてではなく、それらをどう応用していくか?どう進化させるか?そんな目標をいつももって、ワクワクしながらダンスをしています。ブレイクダンスはオールド・スクール(=古いダンスのスタイル)といわれていますが、進化・成長をしながら、この先も続いていくのではないかと思っています。

ブレイクダンスの様子2

編集部のひとこと

ライター

ゆめちゃん

教育科目やオリンピック競技候補に挙がり、世界大会において日本が強豪国として名を連ねるニュースが発信されるなど、注目を集め続けているブレイクダンス。その礎のひとつを築いてきた偉業を、淡々と語る大橋さん。その一方で、今回の取材にあたり、関係各所で大橋さんの情報収集を行っていると、BBOY O-HASHIとして多くのダンサーからのリスペクトを受け、カリスマ的存在として認知されている方なのだと知りました。偉ぶることなく、自らのブレイクダンスの進化を求め続け、そして後輩たちの進化に影響し続ける42歳大橋敏幸さん、刺激的なインタビューとなりました。ぜひ、みなさんも大橋さんが主宰するMORE POWER YOKOHAMAのページで、ブレイクダンスの魅力に触れていただけたらと思います。

編集部メンバー

編集長
かなさん

ふたりの子どもがいるワーママ。お酒が好き。とにかく声が大きい。

ライター
せいくん

家事全般、特に料理が得意な新人ライター。気も声も小さい。

ライター
ゆめちゃん

好奇心旺盛。食べ歩きや女子会が大好き。いつもTシャツ。

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