たいせつじかん ?ほっと一息。少し休憩。幸せな時間?

輝く男性インタビュー

地球を遊びつくせ!日本初のプロサーファー ドジ井坂さんの痛快インタビュー【前編】

ドジ井坂さん

地元茅ケ崎のビーチでのドジ井坂さんのインタビュー

茅ケ崎出身のドジ井坂さん(以下、ドジさん)。学生時代から楽しいことが大好きだったというドジさんの痛快な人生哲学から、今取り組んでいる活動まで幅広くお話を聞いてきました。

日本人初のプロサーファーという肩書からサーフィン一筋の方かと思いきや、楽しいことならなんでもやりたい。ひとつのことだけしかやらないなんてつまらないと笑ってのけるドジさんはどこまでも豪快でした!

抜けるような青空のもと、ホームタウン茅ケ崎でのインタビューをお楽しみください。

聞き手:たいせつじかん編集部

■楽しいことを探し回った学生時代

学生時代を語るドジ井坂さん

学生時代についてお話をされるドジさん

ードジさんは、日本初のプロサーファーだとお聞きしました。まずは、サーフィンとの出会いからプロサーファーになるまでのお話をお聞かせください。

ドジ井坂さん:中学生のころから、アメリカ文化が好きだったんですよね。でも、私の学生時代はまだ戦後まもないころでしたから情報を得ることが本当に難しかったですね。ですから、茅ケ崎から電車で東京へ行って、アメリカ映画を見たり洋書店に行き、洋書を読んでアメリカ文化を吸収していたんです。

あとは、アメリカ人のいるところに行っては積極的に話しかけたりしていましたね。

ー併せて英語の勉強もされたんですか?

ドジ井坂さん:好きなものを知るために必要だったので覚えましたね。

ーすごい学生ですね。

ドジ井坂さん:いやいや、楽しいことに傾倒するっていうのは当たり前のことだと思うのですね。

サーフィンも、洋書店で出会いました。地元が茅ケ崎で海も近いし面白そうだと思っていました。しかし、あるときに女の子が「サーフィンはかっこいい」と言うのですぐやらなくてはいけないって思いましたね。(一同爆笑)

ー初めてのサーフボードも自作されたとお聞きしたのですが本当ですか?

ドジ井坂さん:そうですね。初任給が8千円前後の時代に、サーフボードは7~8万円もしたので学生には手が出ないですよね。ですから、サーフボードの作り方を洋書で調べて自作したんです。

あとは、茅ケ崎のビーチにはアメリカ軍人がサーフィンをしに来ていたので彼らに借りたりしてました。

ーすごいなぁ。としか言えないです。ほかに学生時代のエピソードはありますか?

ドジ井坂さん:バスケットボール部に所属しながらアメフト部を作ったんです。アメリカではオフシーズンには別のスポーツをすると知っていたので私もそうしたいと思っただけなんですが、先生に怒られましたね。

日本人は、「〇〇道」のようにひとつのことを極めることを良しとしますが、私は楽しいことはなんでもやりたいし、学生時代からひとつのことしかやらないなんてもったいないと思っていましたね。この考えは、今でも変わっていないです。

■ドジ井坂、プロサーファーになる

茅ケ崎のビーチとサーファー

インタビュー当日は、快晴!茅ケ崎のビーチはサーフィンを楽しむ人がたくさん。

ー自作のサーフボードからスタートしたサーフィンにはどのように夢中になっていくのですか?

ドジ井坂さん:1年間浪人時代があるんですが、そのときにサーフィンばかりやってました。そりゃあ、うまくもなりますよね。

でもね、当時はサーフィンの映像資料がなかったので、写真を見て、友人たちとサーフィンの動きを想像しながら練習してましたね。

ーそっか!今みたいに映像資料がないのでサーフィンの動きは写真を見ながら想像するしかなかったんですね。

ドジ井坂さん:そうですね。想像力は養われましたね。(笑)

その後は大学に入学したんですが、すぐに退学しました。その代わりに、19歳でアメリカにサーフィンの勉強をしに行きました。

その時も、未成年は渡米がむずかしいと旅行会社の人が言うもんだから、アメリカ大使館に交渉にいきましたね。未成年だから、渡米できないっておかしいよね。

その当時から、私の交渉人生は始まっていますね。

ーパイオニアとして動かれる限り、前例のない挑戦が続く交渉人生になりますよね!

ドジ井坂さん:初めての世界大会の挑戦はメキシコ大会だったんですが、メキシコに行ってみたら、その大会自体がなくなってしまっていたんですよ。日本を出るときにたくさんの人に見送ってもらっていたこともあって、このまま帰国することはできないと思いましたよね。そのため、ここでも交渉してアメリカで半年間滞在できるようにしました。

このアメリカ滞在時に「ドジ井坂」という愛称が生まれたのです。

ー遂に来ましたね。「ドジ」すごく気になっていました!詳しく教えてください。

ドジ井坂さん:本名は、井坂啓美(いさかひろみ)ですが、アメリカ人には覚えてづらいだろうなと思っていたんです。ほかにも「ドン」とか「ダッジ」とか候補はあったんです。しかし、手違いでアメリカ滞在を余儀なくされた「ドジ=ミステイク」な井坂です。ということで、「ドジ井坂」としたら、みんなが面白がってくれたんです。それから私は「ドジ井坂」なんです。

ー大会に参加できなかったエピソードがここに繋がるとは!転んでもタダでは起きないですね!勉強になります!

このアメリカ滞在後は、再度世界大会に挑戦するんですよね? 

ドジ井坂さん:半年後に、オーストラリアでの世界大会に日本代表として参加しました。この時は、アジア人初の参加ということもあって、オーストラリア全国放送のTVのインタビューを受けましたね。オーストラリア英語の発音がまったくわからなくて質問とは違う回答をしてしまうということがあったんですね。その後10年くらいは、オーストラリアのホテルなどでは、「お前、どっかで見たことあるな」とよく言われましたね。

そして、この大会で世界のベスト24に入ることができたことをきっかけに、ハワイで開催される世界初のプロサーファーだけが参加できる大会に招待されました。

ここに参加できるのはプロサーファーだけでしたから、私は日本では初のプロサーファーとなったわけですね。

ーやっと!やっと日本初のプロサーファーになりました。ドジさんが面白いエピソードを交えてお話をしてくださるので、笑い話みたいになっていますが、実現されてきたことは日本サーフィン界のパイオニアですね!お話が刺激的でわくわくします。

ドジ井坂さん:いえいえ。本当に、楽しいと思うことをやってきただけです。

楽しいことだけをやると笑うドジさん

ドジ井坂さんインタビュー前編はここまでです。後編は、現役引退から現在の活動についてのお話です。ドジさんの好奇心は尽きることがありませんので、ぜひ後編もお楽しみください。

後編はこちら:https://www.taisetsujikan.com/?p=721

編集部メンバー

編集長
かなさん

ふたりの子どもがいるワーママ。お酒が好き。とにかく声が大きい。

ライター
せいくん

家事全般、特に料理が得意な新人ライター。気も声も小さい。

ライター
ゆめちゃん

好奇心旺盛。食べ歩きや女子会が大好き。いつもTシャツ。

あわせて読みたい