輝く男性インタビュー
- 日本を飛び出したから見えた日本。ドイツでの学びがあったからできた 一級建築士としての日本そして地域とのかかわり方。HITSUJI ARCHITECTS代表 中村広毅さんインタビュー。
一級建築士 中村広毅さん。現在、横浜市港北区の設計事務所HITSUJI ARCHITECTS(ヒツジアーキテクツ)の代表として日本のさまざまな現場で活躍されています。しかし、そのキャリアは日本よりドイツの方が長いといいます。日本の大学で建築を学んだあと、ドイツで建築士として働く道を選んだ中村さん。世界をめざしたきっかけ、そして、その経験から得た日本への思いについて中村さんにお話をうかがいました。
聞き手:たいせつじかん編集部
■海外へ出よう。きっかけは「日本の働き方」への漠然とした疑問
ベルリン中心地区のベルリン大聖堂とテレビ塔
―中村さんは2015年に設計事務所HITSUJI ARCHITECTS(ヒツジアーキテクツ:横浜市港北区)を開業されていますが、それまではドイツで建築士として働いておられたのですね?海外で働くことになったきっかけを教えてください。
中村さん:大学を卒業してからドイツのバウハウス大学ワイマールの大学院へ進み、そのままドイツで就職したという流れです。日本の建築もすばらしいのですが、世界の建築をみていたら、もっと直接触れてみたいなという思いがつのっていました。また、大学を卒業したあと、このまま日本で就職するのはどうなのかな?という疑問もあって。それも海外に出る思いを強くあと押ししました。
―どのような疑問だったのでしょうか?
中村さん:日本の建築業界はすごく働く、とくにデザイン関連の仕事は。そのわりに賃金はすごく安い(笑)。アトリエといわれるところで働くならば、土日なし、深夜残業当たり前という覚悟が必要でした。しかし、ヨーロッパはそういうことを聞かない。それでもきちんと質を保っている。それってどうやっているのだろうか?という疑問がありましたね。ドイツでも建築業界は他の職に比べて長時間労働だといわれますが、それでも私が知っている日本の労働状況とはずいぶんと違っていました。
―具体的にはどのような働き方でしたか?
中村さん:私が務めていた事務所は、10時スタートで19時終わり。なかに1時間休憩があるので8時間労働ですね。残業をするとしても1時間くらいでしょうか。また、ドイツは祝日が州によって定められていて、私がいたベルリンはとくに祝日が少なかったですが、週休は2日、有休もきちんとありましたので、夏休みや冬休みにそれらを合わせて長い休みをしっかり取ることができました。私の場合はお正月に合わせて冬に帰国していましたので、クリスマス休暇などと合わせて2週間お休みをとっていたと思います。
映画のワンシーンのように素敵な空間です。(ベルリンの建築事務所にて)
―定められている労働時間は8時間と日本と同じなのですが、残業の少なさ、しっかりと休暇が取れるところなど、確かに日本の働き方の慣習とは違いを感じます。このような労働環境の中で、なぜドイツではしっかりと仕事の質を出せるのか?その疑問の答えは見つかりましたか?
中村さん:ドイツに関して言うと、合理性を重んじる文化が影響しているのは明らかだったでしょうね。プロジェクトをやっていて、合理的でないねとなるときっぱりと「じゃ、やめましょう」となる。仕事をしていると、声が大きい方が場を制すということがありますが、合理性を無視してそれをやったら能力に疑問をもたれてしまう、そういう文化がしっかり生きていたなとは感じます。
―確かに合理性を重んじることで同じ職場内やチームの仕事は効率的な方向に向かいそうですが、対お客様という場合はいかがでしょうか?お客様の立場からすると、自分の思い(利益)より合理性を重んじられることに反発はないのでしょうか?
中村さん:ドイツでは、お客様と仕事をする側は対等という意識が根付いています。日本でよくいわれる「お客様は神様です」というところは少ないと感じました。もちろんお客様に対してサービスはありますが、限度を超えない互いの意識があります。
また同時に、プロジェクトのスケジュール割りがとてもしっかりしていますね。ここまでに何を決めましょうということについて、余裕をもって考えられていました。建築では、まず1:100とか1:200などスケールの大きな設計をして、1:50、1:25とスケールダウンをさせていきます。この場合、1:100で決めたことを1:50でひっくり返すということはありません。プロジェクトを進めると不測の事態はよくあることですが、合理的な価値判断をすることでプロジェクトが効率的に進み、大きな影響なく各フェーズをきちんと終わらせる余裕ができるのではないかと思います。
また、万が一、前フェーズで決めたことを覆さなければならないケースに陥っても、だれがその分のお金を払うの?というところをはっきりさせています。このような面を考えても、お客様と仕事をする側の双方が、合理的な進め方を受け入れていたのだなと思います。双方の価値の方向性が同じであることが、ドイツのメリハリのきいた働き方を支えているのかもしれませんね。
友人と船の上ですごす休日。ゆっくりとした時間が流れている様子がよくわかります。(ベルリン郊外・ポツダムの湖)
ベルリンマラソンでのワンショット。仕事もプライベートも充実している印象です。
―日本の長時間労働の要因のひとつとして「お客様至上主義」が挙げられ、最近では過剰なサービスを減らす動きもありますが、日本ではまだまだ合理性よりも手厚いサービスの方が支持される傾向があるように感じます。しかし、世界から絶賛される「おもてなし」もまた、このような日本の価値観があるから根付いている文化だと考えると、働く人と消費者双方が満足して仕事を進めていくというのは、とてもむずかしいことなのですね。
■ドイツでの経験は、日本の当たり前が当たり前ではないことだと気づかせてくれる
―大学卒業後ドイツではどのくらい過ごされたのでしょうか?
中村さん:2002年芝浦工業大学建築工業科を卒業した後、バウハウス大学ワイマールの大学院へ行き、2007年の卒業後、現地の事務所に就職して2008年から2013年まで設計士として働きました。その後、現地で友人と2014年まで改修などの仕事をしていましたので、だいたい12年くらいドイツにいたことになります。卒業年と就職年がずれているみたいに、若干プラプラしている期間もあるのですが(笑)
―バウハウス大学ワイマールといえば、世界的にも非常に歴史のある建築デザインの大学だとうかがいました。すごいですね!ドイツでも「名門校」として認知されている学校なのでしょうか?
中村さん:100年前のワイマールで、近代的・革新的なデザインを学べる学校としてバウハウスが誕生しました。歴史の経過とともに、デッサウ、ベルリン、シカゴなどに移転したのですが、現在はその発祥地ワイマールでバウハウスの名を冠し、その理念をもとに東西ドイツ統一後に再編されました。バウハウスで生まれ受け継がれた教育が、モダンデザインの基礎をつくり、現在でも世界中の建築やデザインなどさまざまな分野に影響を与えているといわれていますから、確かに歴史と権威を感じますよね。建築がメインで、美術、土木、アート、メディアなどの学科があり、メディアと建築を混ぜているマスターコースなどがある総合芸術大学です。しかし、ドイツではどこが賢いから行きたいという考え方は少なく、ベルリンに行きたい、ミュンヘンに行きたい、ルール工業地帯のデュッセルドルフ辺りに住みたい、そんな感覚で学校を選ぶようです。高校卒業時の試験によって選択できる大学と学科は限られるようですが、偏差値が高い大学をめざす傾向がある日本とは違いますよね。
ワイマールでの修士卒業制作の最終プレゼンテーション。世界遺産の建物のエントランスホールでの発表会
―学校選びにもまた、日本とは違う価値観があるのですね。
中村さん:私の場合初めて就職したのがドイツですから、ドイツの建築の考え方がスタンダードなわけですが、日本に帰ってきて日本の建築現場を実際に経験して、「ここまで違うか~」と思ったことは結構あります。特に、ここ2,3年は断熱性能に関する案件にかかわっているのですが、日本は「本当に何もやらないな」、「差がすごいな」という印象を強く受けましたね。
―ドイツはヨーロッパの中でもとても寒い印象がある国ですし、それと比べれば差はあるのは当然のように思いますが。そんなに日本の断熱は弱いのですか?
中村さん:そうですね。断熱性能についてはヨーロッパが進んでいます。ドイツを筆頭に、北欧など寒い国、それから資源を大事にしようという意思のある国はとくに進んでいますね。しかし、日本はアジアの中でも遅れているといえます。アジアの中で進んでいる国は中国でしょうか。近年建設ラッシュである中国は、ヨーロッパのスタンダードを取り入れて建設していますが、日本がそのような時代にあったのは70年代から80年代だったので、その当時に建てられた日本の多くの家屋は、当然その当時のスタンダードで建っているわけです。
―なるほど。でも、日本の新しい家ではどうでしょう?ヨーロッパの現在のスタンダードを取り入れることができるわけですから、建築基準などで大きな差は出ない気がするのですが。
中村さん:もちろん、断熱材ひとつにしても研究が進んでいますし、屋根や壁や土に面する部分に対する断熱のノウハウによって、従来の日本の木造住宅でも対策をしていくようになっています。しかし、ヨーロッパと比較すると歴然たる差があります。
建物の断熱性能は窓の熱量の出入りが重要なので、ドイツでは日本でいうところの省エネ法で、窓の熱貫流率(熱の出入りのしやすさ)が規定されています。この数値が低い方が性能が良いのですが、ドイツでは1.3を超えてはいけませんという規定があります。一方で日本の窓サッシメーカーで高断熱性能といわれる商品の熱貫流率はおよそ1.9前後。つまり、ドイツの最低ラインにも届いていないのです。
―ええっ!そうなんですか?日本の家屋も気密性の強さを強調したり、ペアガラスや二重サッシを採用するなど、以前と比べるとかなり断熱を意識していると思っていたのですが。
中村さん:日本では昔から建物の断熱は考えられてきませんでしたが、オイルショック以降、とにかく断熱や気密性能の高い家をつくろうという流れができました。しかし断熱をする場合、建物内の換気をしっかり行っている必要があるのですが、知識なく断熱・気密に取り組んだ結果、90年代にはハウスダストやホルムアルデヒドなどの問題が注目されるようになり、日本では断熱なんてしなくていいのだという考えを持つ方もいます。その一方で、機械の省エネ化は図られてきたので、エアコンによる省エネ性能は進みました。
たしかに二重サッシなどにすることで屋内の気密が保ちやすくなりますが、窓を2回あけなくてはなりませんよね。それなら性能のいい窓を1つつけた方が住みよくなる。また、そもそも断熱がしっかりした家であれば、各部屋にエアコンをつける必要もないかもしれません。設計士は、見た目や空間のデザイン、柱の位置などの構造、扉の位置や向きなどの使いやすさだけでなく、住み心地や住み方の室内環境をもまた提案します。ドイツで学んできた自分だからできる断熱などの経験を、日本の建築現場で役立てていきたいとは思っています。
―設計には、人間工学的なセオリーや設計士が学んできた専門的知識や経験が大きく反映されるのですね。
ドイツの冬は寒い。運河が凍って道になっています。(ベルリン・ノイケルン)
一方、夏はさわやかな川辺に人は集まり、思い思いにくつろぐ場所となる(ベルリン・クロイツベルグ)
■ドイツでの学びは、日本の課題を解決できるか?
―2014年に、大学の先輩である田名後康明氏と愛知県津島市主催の防災・減災をテーマにした設計コンペに出品され、最優秀賞を受賞されていますね。これは、市域の大部分が海抜ゼロメートルにある同市が、地震だけでなく台風や集中豪雨などの災害時でも住み続けられる「津島型住宅モデル」の提案を募ったコンペだったそうですね。
中村さん:そうですね。このコンペでは「水と生きる家」と題した作品を出品しました。
津島市には日光川という大きな川があり、災害時には大きな脅威になりますが、一方でその歴史は川の流れとともにあり、居住文化は治水とともに育まれてきました。防災・減災に主眼を置きながら、津島らしい親水性のある居住文化を体現する住宅を提案しました。
「水と生きる家」
(津島市主催 防災と減災のための津島型住宅モデル設計競技 最優秀賞受賞作 審査委員長 難波和彦)
建築倉庫ミュージアム公式収蔵作品:http://jmky24ma.jpn.org/hp/?p=1
―津島市のように、地域の特性が現れた課題がある一方で、空き家問題やお年寄りのひとりぐらしなどの住宅にまつわる共通の課題が全国的に広まり、時間とともに深刻化が進んでいるように思います。中村さんのドイツでの学びで、課題の解消に役立つことはあるでしょうか?
中村さん: 空き家問題は難しい問題ですね。既存の空き家を改修し新しい使い方を考えていくことは大事だと思います。日本はおよそ40年とか50年の使用をめどに家を建てていますが、本当は、建てるときにお金をかけてしっかりつくっておけば、100年もつ家も建つのです。しかし実際は、地震もあるし火事もあるから、そういう気概のある方は少ないですよね。でも、ドイツだと普通に100年前の建物に住んでいたりします。昔の建物は天井が高く、3メートルもある建物や、天井にオーナメントがついている建物も多く、そんな古さも好み、しっかりしているものに価値を見いだしているように思います。もちろんオーナーは100年もたせるための手入れもしっかりと施しています。断熱性能だけに限らず、イニシャルコストと長期的スパンのライフサイクルコストを考慮して良い建物を作っていくことが、これ以上空き家を増やさないことにはつながりますね。
―中村さんが事務所を構える横浜市港北区も地域ごとにさまざまな課題を抱えていますので、中村さんの経験が地元に生かせる機会があるといいですよね。
中村さん:このような仕事をしていると、多くの方は東京で事務所を開くのですが、不便だなーと思いながらも、やはり自分が育った地域に愛着があって今の場所に事務所を開きました。今は自宅で仕事をしているけれど、自分の事務所を構えてもいいかなとなった時、小机や六角橋の商店街などで事務所をつくることで、地域とつながりができていくと思うと、それはまたおもしろいですよね。
中村さんが担当した建物。近代的な建物と手付かずの小川が共存。(南ドイツの町ヘッティンゲン)
編集部のひとこと

編集長
かなさん
大学に入ってからも、建築士になるという確固たる思いがあったわけではなかったという中村さん。それでも「もしかすると、自分はもともと建築が好きだったのかも・・・?」と話し始めた子どものころの記憶。新聞に入っている折り込みの住宅のチラシを見ては「この家なら住んでもいいかなぁ~」などと妄想していたのだそう。そんな小さな夢の種が、自然と大きく育っていったのですね。
昨今、日本の若者が海外をめざさない内向性を指摘する研究結果があるなかで、海外から日本を感じる経験をうかがえたのはとても刺激になりました。
- HITSUJI ARCHITECTS公式ホームページ:
- http://hitsuji-arch.com/index.html
編集部メンバー
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ふたりの子どもがいるワーママ。お酒が好き。とにかく声が大きい。 |
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家事全般、特に料理が得意な新人ライター。気も声も小さい。 |
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好奇心旺盛。食べ歩きや女子会が大好き。いつもTシャツ。 |