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輝く女性インタビュー

「住みつづけたい街」を作る!「超」地元密着型ローカルWebメディア“ロコっち”を運営する 株式会社ロコっち代表取締役 藤村希さんインタビュー

地元(以降、ジモト)がもっと好きになる発見サイト「ロコっち」は、「超」地域密着型のローカルWebメディア。2016年のロコっちたまプラーザの一般公開から6年目を迎え、たまプラーザ・センター南・新百合ヶ丘・なかのぶ(東京都品川区)の4拠点で運営されています。(新百合ヶ丘、なかのぶはフランチャイズ運営)

ロコっちは、1拠点が扱う範囲を“駅ひとつ分”という小さなエリアに限定し、さらに拠点エリア在勤在住のジモト民による運営にこだわっています。そうすることでロコっちは、対象エリアのジモト民にとって実用性の高い情報提供に努めているのです。

今回は、株式会社ロコっち代表取締役である藤村希さんに、起業までの歴史やロコっちの理念の源泉についてお話をうかがいました。新鮮かつ痛快な藤村さんの経験に触れ、刺激的でわくわくし通しのインタビューです!

 

■暗黒の中高時代、中二病の大学時代

─本日はよろしくお願いします。

藤村さん:よろしくお願いします。

─一橋大学卒業後、国内一流メーカーに就職しさまざまな部署で活躍。その後MBAを取得して女性起業家へ。藤村さんの経歴を拝見すると「目標に向かって努力を続け、着実に夢を叶えた女性」というイメージをもちました。

藤村さん:ありがとうございます(笑)。でも、ぜんぜんそんなのではないのですよ。学生時代は夢なんてありませんでしたし、中高時代はどちらかというと「暗黒時代」と言ってしまうくらい(笑)。

─え!?そうなのですか?

藤村さん:はい。勉強をがんばる校風の中高一貫の学校だったので、卒業生の多くが難関国立大学や医学部に進むのですが、私はそれほど勉強にモチベーションを発揮できていませんでした。部活加入が必須の学校だったので、高校では軽音部に入りましたが、音楽に打ち込んでいたというわけでもなく、なんとなく虚無な毎日を過ごしていました。でも高校2年のとき、読んでいた音楽雑誌で“高校生音楽祭”があることを知り、その実行委員に参加して初めて学校以外の世界を知る経験をしました。

─高校生音楽祭は、出場者だけでなく、運営も高校生がやるということなのですね?

藤村さん:そうです。ライブが主な出し物なので、幕間や審査の待ち時間の企画を考えたり。そうそう、審査員も高校生でした。それまでも塾で他校の生徒と交流はありましたが、このときは公立高校や通信制高校に通っている子などと接点ができ、異なる価値観の同年代と接することで、自分の視野が広がったと今でも思います。じつは私はイベントなどを考えるのが好きで、修学旅行や文化祭の実行委員などもたぶんやりたかったのだろうけど、学校が好きでなかったのでやる気がしなかったのだな・・・と、そういう自分の一面に気付けた経験でした。

─よい経験をしましたね。ではそのような経験を経て、大学時代はどのように過ごされたのですか?

藤村さん:大学時代はすごく楽しかったです。学園祭の実行委員はやりましたよ(笑)。でもやっぱり何かに打ち込んだわけでもなかったですね。人と違うものになりたい願望があって、自転車で国内を旅するサークルに入りましたが、今思えば中二病みたいですよね(笑)

 

■やりがいと飽き性の狭間で・・・

─大学卒業後、藤村さんは国内有数の機器メーカーに就職し、携帯電話事業に携わったそうですね。

藤村さん:就職活動でメーカーをまわったなかで居心地がよさそうだったその会社を選びました。でも、具体的にやりたいことがあったわけではありませんでした。だから、希望して携帯電話事業部になったのではなく、配属された先がそこだったという感じです。

それでも、営業、仕様調整、広報などに従事でき、新しい仕事に取り掛かるときはやりがいも感じていました。でも、そもそも飽き性なのですよね。2年ほど同じポジションが続くと新しいことがしたくなって異動を模索してしまうのです(笑)

─与えられたポジションで全力投球するからこそ、燃え尽きて飽きてしまうでしょうね(笑)。でも全力投球の結果として、社長賞を3回も受賞なさったのですよね。

藤村さん:社長賞はチームでの受賞で、取説のページ削減や社内風土改革などの取り組みについて評価していただきました。私自身、業務改善が好きなのだと思います。

─そんな藤村さんに転機が訪れるのですね。

藤村さん:はい。2011年、育児休暇から復帰すると、なんとなく働きづらさを感じるようになりました。社会の状況も会社の状況もずいぶんと変わっていましたし、周りの同僚に独身女性が多かったり、上司は結婚しているけど子どもが居なかったりと、今思えばいろいろ相談すればよかったのかな?と思うのですが、そのころは周りの人に言いだせず、時短勤務ながら、子どもが寝てからも仕事が頭から離れないというつらい日々が続いていました。そんな状況だから、会社を辞めたくなってしまい転職活動を始めたのです。でも結果は惨敗。だって、とにかく会社を辞めたいだけで、やりたいことがないのですから。

ただその転職活動のなかで、ひとつだけ気になる会社に出会えたのです。その会社のビジョンは「働き方を変える」―これだ、と思いましたね。

─ピンと来たのですね。結果はどうなったのですか?

藤村さん:この会社も落ちました。仕事ができるつもりだったから結構ショックでしたが、ほかの会社と違っていたのは、人生で初めて「この会社で働きたい」と積極的に思ったことでした。そしてこの会社を落ちたことで「やりたいことってあるのかも・・・?」と思い始めたのです。そこで自分探しがしたくなって、転職活動を一旦やめて、グロービス経営大学院(以降、グロービス)へ通い始めたのです。

─「経営大学院」と聞くとものすごく敷居の高い場所を想像します。大きな覚悟をもって挑んだのでしょうね。

藤村さん:最初は短期講座に気分転換で行くだけのつもりだったのですが、夫に「中途半端はだめだ、それはMBAをとるんだよ!」と言われたのです。子どもはまだ2歳、職場の状況も変わっていないなかで「そんなの無理だよ!」と思ういっぽうで、「このままじゃ私ダメだ!」という気持ちがありました。中高大時代の学友たちはみんな活躍していたからです。「このままじゃ私の人生消化試合になる!」と思い切り、グロービスの単科生として勉強する日々が始まりました。

─仕事の状況も改善しないなかで、どのような毎日を送ることになったのでしょうか?

藤村さん:最初は単科生でしたが、試験を受けて2014年4月には本科生となりました。仕事をしながら、子どもを育てながら、いま思えば異常でしたね(笑)。余暇のすべてを勉強にあて、お風呂で課題を読んでいました。子どもが起きている時間は勉強しない方針でやっていたから、子どもといっしょに寝て、11時くらいに起きて深夜2時くらいまでやる生活。栄養ドリンクばかり飲んでいましたね。最後の2年は勤務地が変わったことでさらにしんどかった・・・往復2時間近くかかる通勤電車は1分たりとも座れない(笑)。でも、立ってできる勉強、幸運にも座れたらやる勉強などやりくりして、どうやったら効率的に勉強できるかを身に付けていきました。3年9カ月間、ほんとうにがんばった。

─仕事と子育ての両立だけでも大変なのに、ここにMBAを取得するための勉強が加わって、ほんとうによくやり遂げましたね。

藤村さん:はい。グロービスへ行ってよかったのは、自分に自信がついたことです。自分は努力できるという自信がつきました。

中学受験では、与えられた塾の宿題を機械的にこなしていたら何とかなった気がします。だから自分でコツコツ努力して、できるようになる喜びはなかった。受験のいの経験が、今の自分の糧になっていないなと思いましたが、グロービスの経験を経て、努力して結果が出る喜びを知ることができたと思うのです。

 

■“利便性と愛着”、豊かなジモトライフをおくろう

─ところで、藤村さんがロコっちたまプラーザを公開したのは、グロービス経営大学院在学時代とのことですが、どのような経緯でロコっちの立ち上げに至ったのでしょうか?

藤村さん:ちょうどグロービス在学中に、大きな組織変更を扱う業務を担当することになりました。慣れ親しんだ仕事から畑違いの業務へ転換するだけでなく、工場閉鎖に伴い、地方から中高生のお母さんが単身赴任させられるケースもありました。これってなんなのだろう・・・?地元で活躍できる多様な仕事があれば、こんなことにはならないのだろうなという思いから、地域活性化に関心をもち始めました。じつはグロービスの同窓生のなかでも地域活性化をしている人はいたのですが、特定の地方都市で取り組みをする人が多く、仕事をしながら、子どもを育てながら、グロービスで学びながら、どこかの地方都市をモデルに何かする・・・というのは、私にはむずかしいなと思いました。

─そこで藤村さんのジモトであるたまプラーザを台上に、地域活性化を考えたわけですね。

藤村さん:特定の地方都市をターゲットにするのは状況的にむずかしい私は、地域活性化のプラットフォーム的なものを作りたいなと考えました。さらに、子どもができたとき家の周りで過ごすことが増えたけど、家の周辺の情報を得るのに骨が折れたという経験もあり、生活区域ピンポイントの地元情報を発信するプラットフォームがあったらどうか?・・・とロコっちのビジネスプランが生まれるきっかけとなりました。

─それで“ジモトの範囲”を駅ひとつ分の小さなエリアに限定して不要な情報をそぎ落としたメディア、ロコっちが生まれたわけですね。ジモトの人が情報を得やすくなると、それまでは情報を得られなかったイベントへ参加したり、存在を知らなかった商店を利用する動きが生まれるなど、情報源であるジモトの地域組織や事業者活用の動線が生まれますよね。

藤村さん:地域活性化とは、その街を「住みつづけたい街」としていくことだと思うのです。それには“利便性”と“愛着”のふたつの面があると思います。

おいしいお店や使いやすい商店が街にあると、ジモトの人は街で買物をして、街の事業者は潤い、街のために税金を納めてくれるから、街は豊かになる、この利便性は大事。しかし一方で、街に愛着がなければ、街の人口は減っていってしまうのです。

そこで重要なのが、街に対する“愛着”なのです。子ども時代に住んでいた街に、結婚したり子どもが生まれたら戻ってきたいと思うほどの愛着がもてるかということです。

愛着は、その街に素敵なコミュニティがあるかどうかが影響してくると思うのです。

だからロコっちは、地元の利便性の情報も、コミュニティ(地域活動)の情報も、両輪で情報発信していくのです。

─子育て中の家族や高齢者などジモトで過ごす人が、ジモトの魅力を存分に受け取れるメディアがある地域は、それだけで魅力ある地域と言えそうですね!

 

編集部のひとこと

編集長

かなさん

たまプラーザやセンター南のように人口や商業が豊かではない地域においても、ロコっちは非常に有用なメディアだと思いました。町内会、子ども会、老人会、マンションの自治会、PTAやおけいこごとなどなど、どんな地域でもコミュニティは生まれますし存在しようとするものです。しかし、その実態が見えづらいから、ジモト民たちは利便性や愛着を求め、近隣の大きな地域へ出かけていくという流れもあるのでしょう。

自分のジモトの魅力がしっかり見える地図があれば、ジモトの人は気軽にジモトを歩くのだと思います。ロコっちのプラットフォームが広がって、藤村さんが会社員のときに感じた「地元で活躍できる多様な仕事」があふれる街が、日本全国に育つといいなと思いました。

編集部メンバー

編集長
かなさん

ふたりの子どもがいるワーママ。お酒が好き。とにかく声が大きい。

ライター
せいくん

家事全般、特に料理が得意な新人ライター。気も声も小さい。

ライター
ゆめちゃん

好奇心旺盛。食べ歩きや女子会が大好き。いつもTシャツ。

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