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輝く男性インタビュー

世代も国境も飛びこえたスーパーヒーロー ウルトラセブンを演じた森次晃嗣さんのインタビューです!

ウルトラセブンを演じた森次晃嗣さん

1967年にTV放送を開始し、今年で55年目をむかえ今もその人気がおとろえることなく世代、国境を越えて愛されているスーパーヒーロー「ウルトラセブン」。そんなヒーローを演じた森次晃嗣さんに、ご自身が鵠沼で経営されているカフェ「ジョリーシャポー」で、これまでの人生の歩みをうかがってきました。

からだひとつで上京し、ウルトラセブンそして、ウルトラセブンが地球上で人間としてすごすための仮の姿「モロボシダン」という大役をつかむまでのお話には、なにものでもないひとりの青年の壮大な挑戦の物語がありました。

そして、世代も国境もこえて多くの人に愛されるウルトラセブンとは森次さんにとってどのような存在なのかをお聞きしてきました。

森次晃嗣さんならではのやさしさに満ちあふれたインタビューとなりました。

ぜひ、お楽しみください。

聞き手:たいせつじかん編集部

 

■あこがれだけで上京しみつけた役者という仕事

上京したころの思い出を語る森次晃嗣さん

ー最初にウルトラセブンを演じることが決まるまでのお話をうかがいたいのですがご出身はどちらですか?

森次さん:北海道滝川市という冬には零下33℃になるようなほんとうにさむいところで育ちました。

ー東京には俳優をめざして出てこられたということでしょうか?

森次さん:俳優になるとはまったく考えていませんでした。絵を描くことが得意だったのでファッションデザイナーとかがむいているのかなとは思っていましたが、とくにこれと言って明確に目的があるわけではありませんでしたね。

今では考えられませんが、親をふくめ家族には何も言わずにいっさいのあてがないなかで、からだひとつで上京してきました。

ーえっ、文字どおりのからだひとつということですよね?東京についてもどこに行くという予定もなくまずは東京にくることを目的として行動したということですか?

森次さん:そうですね。当時は、深夜便で千歳空港から羽田空港行きの飛行機があって、それに乗って東京に来たんです。

何もあてがなくても、東京にいるということがうれしかった記憶があります。

そして、そのまま新宿に向かい1泊2,500円くらいの宿に泊まりながら新宿をうろうろと歩きまわって仕事をさがしました。

しかし、保証人がいない状態ではなかなか雇ってくれるところがみつからなくてこまりました。

日に日にお金がなくなり、いよいよまずいぞと考えはじめた矢先に花輪がたくさん出ているお店をみつけたんです。

これは開店間際のお店のはずだから人手が足りていないのではないかと考え、そのお店に飛びこみました。

そうしたら、その店のマスターが私の顔をみるなり「働きたいのか?じゃあ今すぐ働け。2階に8畳間があるからそこで寝とまりしていい」というのです。

この出会いにほんとうにすくわれましたね。仕事だけでなく家まで提供してもらえるなんて考えていませんでした。もうその日から夢中で働きました。

ー当時の新宿はどのような雰囲気でしたか?

森次さん:当時の新宿は若者であふれていて、目にみえないパワーがうずまいているようでしたよね。
歌手やら役者やらいろいろと新しいことをはじめようとする人たちがたくさんいました。そんな人たちとの出会いから、世のなかにいろいろな仕事があるのだなと知るようになり、自分のなかでの選択肢がじょじょにひろがっていきました。

ーそういうなかで俳優をめざしはじめることになったんですね。

森次さん:そうなんですよね。私は、人よりめだつのか、風貌がすこし宇宙人的であったのかわかりませんが、新宿で働いているといろいろな人に歌手をやらないかとかモデルをやらないかとか声をかけられていたんです。

アルバイトにもなるし、好奇心も旺盛でしたのでいろいろとトライしているうちに役者という仕事をみつけたんですよね。

あとは、私の名前は芸名でなく本名なのですが、テレビに役者として出演することで家族に知ってもらいたいという思いもありました。

実際に、私がテレビに出るようになっておたくの息子さんがテレビに出ているよと言われたようなのでねらいどおりでしたね(笑)。

 

■ウルトラセブンは突然に舞いこんできた

店内にディスプレイされているウルトラセブン

ーでは、実際にウルトラセブンの大役をまかされたときのお話をお聞きしたいのですが、どのような感じで知らされたのですか?

森次さん:実際は、「えっ、俺?」という感じでした。

明治から大正時代を舞台とした学生スポコンドラマの役をもらいました。その時のドラマの撮影現場に、時折ドラマとは関係のない人がみにきていたんです。

おそらく共演している誰かをみにきているのだろうと思っていたんですよね。そのときは、私をみにきているなんてみじんも思っていませんでした。

そしてあるとき、「ウルトラマンの次回作の主役をさがしている。その候補として君をみにきている」と言われたんです。

私をみにきていたということにもおどろきましたし、ウルトラマンと言われてピンとこなかったこともありポカーンとしていました。

それから、円谷プロ社長の円谷英二さんとかいろいろな人と面接をして3日後にはウルトラセブンとして出演することが決まっていました。

ーでは、いっさい意図せずにあれよあれよというまに決まっていったのですね。お話もらった時は不安とかはなかったですか?

森次さん:なかったですね。当時は24歳でしたから依頼をいただいたものはどんなものでも挑戦しようと思っていましたし、主演ということだったので断るという選択肢はありませんでした。

上京して6年目にウルトラセブンと出会いましたが、18歳から24歳までの日々は私とってはとても濃厚な日々でしたね。

ー思いもよらないオファーがここまでの人気番組になるとはおどろきですよね。

森次さん:本当にそうですよね。でもね、私のなかでいつも思っていることがあります。このチャンスをつかめたのは私が行動していたからだと思うんです。当時も夢を語っている人はたくさんいましたが、行動しなけばその夢は絶対かなわないと考えていたので、その点は東京にきてからはずっと意識していましたね。

ーそれは今でもきっと変わらない点ですね。森次青年は夢をかなえるためにがむしゃらに行動をおこしつづけた結果ウルトラセブンと出会うんですね。
では、その後のウルトラセブン撮影時のエピソードをいくつか教えていただきたいです!

森次さん:当時は、すでに藤沢の鵠沼あたりに住んでいたので小田急線で撮影所までかよっていましたが、誰にも気づかれませんでしたね。おそらく、今のほうが気がつかれると思いますよ(笑)。

ーそうなんですね!まさかウルトラセブンが同じ電車に乗っているなんて当時同乗していた人は思いもしなかったでしょうね!

森次さん:あとは、火薬をつかった爆破シーンの撮影がほんとうにこわかったですね。当時の特撮物の魅力のひとつだと思いますが、今とはちがってCGではなくすべて本物でやるわけです。当然、爆破のシーンも本当に火薬を爆破するんですよね。

本番前のテストでは、どこに火薬がしこまれているのか目印がたっています。しかし、本番では目印がはずされてしまいますから、どこに火薬があるかわからなくなっているわけです。

その状態で、火薬の隙間を走りぬけなければいけないのでなんとなくの感覚をたよりに無我夢中で走りました。

時代を感じるエピソードですが、当時はそれがあたりまえでした。

ーそういわれると、モロボシダンが爆破のおきる斜面をかけおりるようなシーンが頭にうかびますね!ご本人も印象ぶかいということは視聴者にも印象ぶかいシーンなのでしょうね。

森次さん:当時は、すべてのセットを手づくりし、それを壊してのくりかえしでした。今とは撮影の方法自体がちがいますね。あたらしいウルトラマンシリーズの撮影に参加したことがありますが、当時とのちがいにほんとうにおどろきましたね。

 

■みんなにとっても永遠のヒーロー


ー放送開始から55年がすぎたウルトラセブンは今でもその人気はおとろえることがないようですが、ご自身ではウルトラセブンが世代をこえて愛されている理由はどこにあるとお考えですか?

森次さん:今でもNHKでウルトラセブンを再放送してくれていて、それをみてお店に来てくれる人もいるくらいですから、時代をこえて多くの人がみてくれているのだなと実感しています。

その理由のひとつに、脚本、ストーリーのすばらしいさがあると思います。大ヒットしたハリウッド映画の「E.T.」のような物語をそれよりも前にやっていましたからね。

ー森次さんが好きなウルトラセブンのお話はありますか?

森次さん:やっぱり最終回です。ウルトラセブンが地球を去ることになるわけですが、あそこのシーンはけっして子どもむけのドラマにはおさまりきらないシーンですよね。

あのシーンを最後にもってくるのですから、ほんとうにすばらしい脚本であったと思います。

ー大人になってからウルトラセブンをみてもストーリーの構成や、セリフに時代背景や社会問題を想起させるようなものがちりばめられていてハッとさせられるシーンも多いですね。
でも、これだけの人に愛されるヒーローを演じたということでそれなりのプレッシャーなどもあったのではないでしょうか?

森次さん:55年がたった今でも「モロボシダンだ」といって子どもたちに指をさされるんですよ。これはほんとうにすごいことだし、大ヒット作の主演をつとめたのだと何度も実感するのですが、やはりモロボシダンが重く感じたこともありましたよね。

ウルトラセブン以降にもいろいろな役を演じました。しかし、どうしてもモロボシダンとしかみてもらえていないと感じてしまい役者としての葛藤をたくさん経験しました。

でもね、これだけたくさんの人が愛しつづけてくれる役を演じられたことを今ではほんとうに感謝しています。だって、みんなのヒーローですからね。なかなか望んでできることではないんですよね。

ーヒーローであることを実感したエピソードはありますか?

森次さん:世代だけではなくて国境をこえて愛されてるので、たくさんの海外の人が会いにきてくれますよ。

あとは、ウルトラセブンに影響をうけてオスカーを受賞するような映画監督になった方や宇宙飛行士になった方とお話をしたこともあります。

もうここまでくるとあの作品には人を動かすちからがあると感じますし、人の人生を変えるほどにたいへんなことをしてしまったような感覚もありますね(笑)。

ーウルトラセブンはたくさんの人の夢につながっているんですね。
では、最後の質問です。これからも役者としていろいろなことに挑戦をつづけていかれると思いますが、今後の展望などがあればおしえてください。

森次さん:私ももうすぐ80歳になりますからね。1日1日を楽しく元気にすごしていきたいです。そのなかでこれはやりたいと思える役にであえれば役者の仕事にも積極的に挑戦しますよ。

ー今日はありがとうございました。

 

編集部のひとこと

ライター

せいくん

私自身がウルトラセブンの大ファンであることもありますが、森次さんのインタビューは終始夢のような時間でした。

あのスーパーヒーローが目のまえにいることの非現実感を感じながら、そして実在する森次さんのやさしくあたたかい人柄を感じながらのインタビューとなりました。

世代も国境もこえて愛されるスーパーヒーローはこのさきもたくさんの子どもたちに夢をあたえ、勇気をあたえてくれはずです。

混沌とした日々がつづきますが、新しい光をめざすちからをくれるスーパーヒーローはこのさきもずっとかがやきつづけるのだと思います。

編集部メンバー

編集長
かなさん

ふたりの子どもがいるワーママ。お酒が好き。とにかく声が大きい。

ライター
せいくん

家事全般、特に料理が得意な新人ライター。気も声も小さい。

ライター
ゆめちゃん

好奇心旺盛。食べ歩きや女子会が大好き。いつもTシャツ。

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