輝く女性インタビュー
- 子育て支援のパイオニア的団体・NPO法人びーのびーの副理事長 ハードな活躍をソフトにこなす原美紀さんインタビュー
港北区菊名に《おやこの広場びーのびーの》というつどいの場があります。保育園や幼稚園で初めて会ったお母さん同士が、「あ!びーので会いましたよね?」と声をかけ合う姿を何度も目にしたことがあります。彼女たちにとって”びーの”は、時間の共有だけでなく、子育ての豊かなつながりを作る空間だったのでしょう。”びーの”という言葉でつながる彼女たちは、幼なじみのような、旧友のような、少し特別な縁をもっているように見えました。
この《おやこの広場びーのびーの》を運営する特定非営利活動法人びーのびーのは、2000年2月に設立されたNPO法人。原美紀さんは、法人の副理事長、事務局長そして子育て支援拠点の施設長を兼任するだけでなく、一般社団法人ラシク045代表理事、NPO法人アクションポート理事など、多方面で活躍する女性です。今回は、港北区や横浜市だけでなく、全国の子育て拠点のモデルにもなった《おやこの広場びーのびーの》の軌跡をたどりながら、子育て支援の現場で求心力を発揮する原さんのご活躍についてお話をうかがいます。
■めぐりあわせは突然に。
─0~3歳児の親子の拠り所である《おやこの広場びーのびーの》だけでなく、NPO法人びーのびーの(以降、びーのびーの)の躍進は、保育園運営(認可保育園ちいさなたね保育園)や預かり事業(グループ預かりまんまーる)、書籍出版など高齢者支援(地域福祉交流スペースCOCOしのはら)へと広がりも見せています。一方で、原さん自身は、NPO法人の副理事長を務めるだけでなく、そうそうたるメンバーが集うほかの団体へも理事などとして参加されていて、その姿から原さんのスーパーウーマンぶりを直感します。
原さん:ありがとうございます(笑)
─率直な感想として、「子育て支援分野でのビジネスで成功した人」と見えるのですが、そもそも経営にご興味があったのですか?
原さん:いえいえ。びーのびーの設立前は、完全に仕事は辞めて専業主婦でしたので、いつかは仕事をしたいな・・・という気持ちはありましたが、具体的プランもなかったです。
実家が近かったので、育児自体に大変さはなかったものの、子どもを産む前はずっと東京で仕事ばかりの生活をしていたので、子どもだけに向き合うのはたいへんだなとか、手帳に何にもない空虚感を感じるときはありました。だから、子どももかわいいのだけど、いつかは働くとは思っていました。しかし、満員電車に乗って以前のような働き方をする発想はなかったかな。子どものそばで半々くらいで両立できる仕事のスタイルは選びたいなと思っていましたね。
─それでは、びーのびーのを設立するときはどのようなきっかけがあったのでしょうか?
原さん:びーのびーのは2000年2月設立なのですが、その前に奥山(NPO法人びーのびーの理事長)との出会いがありました。当時私は他区から転居して、住民票の手続きで区役所に行った際、この区の公園情報をもらおうかと保健福祉センターに行ってみたら、当時の保健師さんに「ちょうどそんな情報誌を作ろうと思っているのよ。保育もつくし、参加してみたら?」と誘われたのです。それで「港北区子育て通信223」第1号の編集委員になったのですが、そこに奥山も参加していたのです。
─お子さんと向き合うだけの時間だけではつらさを感じていた原さんにとっては、よい機会でしたね。
原さん:ちょうどふたり目が生まれたときくらいだったかな。お友だちも作りたかったし、そんなに大きなことを考えず、公園情報を得たい一心で安易に参加しました(笑)。
それまで学校と家、会社と家の往復で、制服とパジャマさえあれば過ごしていける生活を送っていて、成人式にさえ出られなかった(笑)。区にこんな取り組みがあることすら知りませんでしたし、行政がやっていることに参加するのも初めての経験だったかもしれません。
─ひとり目のお子さんのときも、それほど行政の支援などにかかわらず過ごしてこられたのですね。
原さん:赤ちゃん会などには参加して、そこで知り合った人と育児サークルを作って場所を借りながら過ごすことはしていました。友だち同士をつなげるのが上手な人がいて、声を掛けてもらって3,4人くらいで仲良くなって出かけたりしていました。
─原さんが声を掛けるのではなく、声を掛けられる方なのですか?
原さん:はい。私はつなげる人ではなくつなげてもらう人でしたね。
─子育てのことならなんでも教えてくれそうな今の原さんからは率先して動きだす印象をもちますが、意外ですね。
■苦さいっぱい、「新人類」に託された期待
横浜市港北区にある地域福祉拠点COCOしのはらの自慢の手作りケーキ
COCOしのはらはNPO法人びーのびーのが運営しています
─お話を聞くほどに、スーパーウーマン原さんの意外な姿が見えてきています(笑)。しかし、びーのびーのの躍進や多方面にわたる活躍を見ると、原さんの土台にはしっかりとしたビジネスや経営の礎があるのではないかと感じてなりません。お仕事をお辞めになる前の原さんのお話を聞かせていただけますか?
原さん:大学は社会学部社会学科。新聞記者になりたくてこの学科を選びました。文章を書くのも好きでしたし、高校時代に言論の自由などにも関心があってマスコミに進みたかったから。ジャーナリズムや新聞報道などマスコミを学び、就職は新聞社を希望していましたが、じっさいは出版社に就職しました。
─出版社というとどういったお仕事をされるのですか?
原さん:本業は本や雑誌を作るなど出版取次、編集のような業務になるのですが、私はこの本業とはまったく異なる部署に配属されてしまいました。就職した年はまさにバブル崩壊の真っ只なか、本業に携わらせてもらえず、出版会社なのに他事業をスタートさせる「新規事業開発」という部署で社会人1年生をスタートさせたのです。本当につらい仕事でした。
─願った業界に入れたものの、まったく想定していなかった仕事とは。具体的にはどんな毎日を送られていたのですか?
原さん:その部署は、とにかく新しい事業の早発を期待されていました。しかし、何かとっかかりがあるわけではないから、毎日いろいろな業界の新聞を読むことから始まります。ほかのラインの人たちに対してうしろめたい気持ちでいっぱいでした。
─なぜうしろめたい気持ちになるのですか?
原さん:結果がすぐ出る業務でもないため、遊んでいるとばかり思われていて。7,8人いる部署のなかで、中小企業診断士などそれまでの経験を業務に生かせる人がいるなかで、新入社員は私ひとり―私は何も生かせるものをもっていなかった。「新人類だから新しい感覚があるだろう」ということでポンと起爆剤的に入れられたのでしょうね?でも、本業のことも何もわからない新入社員だったから、その場にいるのがとてもきつかったです。
─たしかに、本業も分からないのに会社の新規事業を作るといっても雲をつかむような感覚ですね。しかしその状況でも、新しい事業を立ち上げて実績をあげられたのですよね?
原さん:そうですね。旅行会社を作るとか、ビデオや電子書籍を生み出す事業のスタートアップをやったり。人材派遣業もマッチするかも?と、離職した人の再雇用を作れる可能性をリサーチしたり。
─ゼロから作る、手持ちの資源を生かすなどして実績を作ったのですね。まさに今のびーのびーのの事業づくりに直結する経験を積まれたという感じですね。
原さん:そうですね。そういう意味では、奥山も私も、子どもの福祉とか保育とか幼児教育などとはぜんぜん畑違いの仕事に就いていましたが、それぞれが企業で得た経験は生きているのかもしれませんね。
■「おもしろいものができたらしい」
COCOしのはらの天窓
窓からさす明るい陽射しが心地よい空間
─貴重な企業経験を携えていましたが、当時の原さんのなかでは、「子育て支援で起業する」というお気持ちはなかったのですか?
原さん:当初はありませんでした。びーのびーのを始めて何年かしてから、地域で雇用を作っていくという必要性に至ったと思います。ただそれは、子育て真っ最中も楽しみたいし、子育てだけじゃない社会とのチャネルのコミットももってバランスを取るという希望をもっていたという感じです。
─では、びーのびーのが法人化するに至ったのは、どんな背景があったのですか?
原さん:あるとき朝の情報番組で、武蔵野市の「0123吉祥寺(以降、0123)」という施設について放送されているのを見て「こんなところがあるのだ!」と知り、奥山と子どもたちでぞろぞろ連れ立ってうかがったのが始まりです。
そこは全国からも視察が来るような場所だったのですが、初代館長の森下先生が、私たちのような一般の子育ての母親にもていねいに対応してくださいました。
「横浜市からの視察がいちばん多いのよ」
「横浜市ではまだできていないのよね」
「あなたたちが本気でやるなら、横浜に心理学の研究をしている先生がいるから紹介するわよ」などおっしゃってくださいました。
─子どもを連れて見学に行ったのが、思いも寄らぬ展開となったわけですね。
原さん:はい。私たちは横浜に戻るとすぐにその先生たちのところにごあいさつにいきました。
先生方はカナダの子育て支援を研究されていて、カナダの親子ひろば「ドロップイン」や「ファミリーリソースセンター」という思想を日本に取り入れたいとされていていました。先生たちとお会いして、武蔵野市みたいな立派なものはできないけど、こういった場づくりを地元でやりたいとお話ししました。すると先生たちから、「あなたたちが本気でやるなら手伝うわ」と言ってくださったのです。じつはこの先生方が、いまもびーのびーのに携わってくださっている先生方なのです。
─びーのびーのにはたくさんの有識者が携わっていますが、どんなタイミングで合流されてきたのかと思っていましたが、びーのびーのが生まれる前から出会いがあったのですね。
原さん:0123は公設公営で、横浜が同じような施設を作るのを待っていては10年も20年もたってしまうだろうと思ったので、100%自主財源でやると決めて借り上げたのが菊名の《おやこの広場 びーのびーの》の場所。月額21万円の家賃を、自分たちで稼いで運営することを決意したのです。
─それは、専業主婦の原さんたちにとってはとてつもない大きな決断ですよね?
原さん:そうですね。借り上げるならリスクが高いので法人化しようと。ちょうど奥山が3人目出産で入院しているとき、お見舞いに行きがてらふたりで定款を作りました。そのときふたりのなかでは少なくともちゃんと10年はやろうという思いが一致していました。
─サークル活動していた仲間と法人化することはよくありますが、法人化することがマストな状態で活動がスタートするという状況はあまり聞きませんね。先生たちもいらっしゃったと思うのですが、主体となる会員が原さんと奥山さんだけという状況で、どのように仲間を集めていったのですか?
原さん:社会福祉協議会(社協)の部屋を借りて、設立発起会を行いました。当時の局長も社協としてNPO法人の応援をするということで来て下さり、0123の森下先生もお呼びしました。その発起会を小さく新聞に載せたら30人くらいの人が来てくれて、賛同くださる方に住所を書いていただいたら20名ほど集まりました。多くが0歳~3歳のお母さんたち。自宅を開放して読み聞かせをしている人とか、大手編集会社で仕事をしていた人とか、いろいろなスキルの人が仲間として集まりました。
─すばらしいですね。仲間が集まりさらに勢いづきましたね。
原さん:はい。そしてそのあと、時代とともに子育て支援を応援する機運が高まってきた、制度がついてきたという感じです。
2000年、介護保険ができた年に、私たちの法人は設立しました。介護保険制度の制定によって、高齢者の社会化はできたから、次は子どもだ!という動きは国にあったのでしょうが、私たちはそんなことはつゆ知らず、菊名に常設の場所を作ります。すると、先生たちのつてで厚労省の担当者が視察に訪れたのです。
介護保険導入の担当者がすべて少子化対策に移り、なにか少子化対策ができるアイデアはないかと全国行脚していたとき、「どうもおもしろいものが生まれたらしい」と言って。
すでに全国的に同じ課題は見えていて、「日常のなかでこういった場所を点在させていくのが大事じゃないか」という答えがあったのかもしれません。
─その課題解決の答えとして、びーのびーのが作る《おやこの広場びーのびーの》がモデルとなり、制度となって全国に広まっていったのですね。
■ストイックなまでの理念が「いま」を作る
─厚労省で「おもしろいものができたらしい」と噂になるまでには、原さんたち自身が試行錯誤の連続で場づくりを行ってきたと思います。どのようなご苦労がありましたか?
原さん:最初は制度がなかったので、3000円とかなり高額な利用料をとっていました。「こんなので人が来るのかなぁ???」という価格ですよね(笑)
─そうですね(笑)
原さん:また、最初はプログラムをたくさんやらないと人が来ないのではないかと、イベント的なものを企画してやっていました。しかし当時心理職や保育士としてかかわってくださっていた方々が、私たちに理念についていろいろな問いかけしてくださいました。
「こういうことをもともとしたかったのですか?」
「サービス業ではないのだから、かかわっている自分たちがまず幸せになることが大事じゃないか」
「振り返りの大切さ」
そういった繰り返しのなかで、この場所は「ノンプログラム」でやると決めました。
─これはいまもびーのびーのに根付いている理念ですね。
原さん:また、カナダの思想を先生たちがお話してくださることもありました。
「ボランティアとはどういうことか」
「有償ボランティアという言葉を安易にいれないように」
「100円でも払ったら賃金」
「カナダはボランティアの経験値が有償に必ずつながっているくらい、ボランティア経験がその人のキャリアに役立つものとして、続けられる人を大事にするのだ」
「高い崇高なボランティア意識を育てなさい」
─有能で経験豊かな識者から、スタッフ自身が育てられていくことで「場」が育っていったのですね。
原さん:私たちは企業出身だから、広報して集客してなんぼと考えてしまいがちでしたが、先生たちの指導は、「子どもにとってなにが大事か」とか「場所ってどういうことか」とか「Nonプログラムisプログラム」とか「来た人たちでプログラムを作っていくという大事さ」とか、そのへんはとことん議論しつくすくらい、ある意味ストイックでしたね。
─しかし一方で、ボランティア慣習のないの現在の日本にはそぐわない部分もあると思いますが。
原さん:先生たちもなんでも無料でやるということをよしとはしていないです。
自分のために必要な場所であれば、それ相応の質と価値を出していくために、身銭を切って研修を受けたり、交通費を負担してでも参加するという意識の共有です。決して質を落としてまではやらないと決めていました。
一方で、利用する方にも自分にとって必要なものであればいっしょに支えていって欲しいという意味で、施設の維持分担費としてお支払いをお願いしました。初めて来館する人にこうした意味合いをどう伝えていけるかの説明をロールプレイで練習するなどして、横浜市の現状をしっかり伝えるようにしました。
─運営する人にとっても、利用する人にとっても、そこが自分自身のために必要な場所だという意識をきちんと育てるという部分が大切だったのですね。
原さん:菊名の《おやこの広場びーのびーの》は静かな商店街にあって、親たちは遅くまで運営の会議などをしていると、子どもたちがガラスを割ったりくつをなくしたりとかして(笑)。そんなことを商店街の人たちがほめてくれたり、しかってくれたり。いろいろな地域から来ているから、学区がなくてカオスのような感じで子どもたちは交じり合っていましたが、そういう環境がいいのよと言ってくれる周りの人がいましたね。
かかわっている私たちが幸せでなければ続けて来られなかったと思います。
■「となりのおばちゃん」という専門性
COCOしのはらの庭(2月)
春になると色あざやかな花でいっぱいになるとか
─現在、原さんは多方面で活躍され、ご自身がびーのびーの設立時にご指導を受けた先生たちのような立場になっていると思います。今後のめざしたいこと、目標にしたいことなどはありますか?
原さん:少子化になっていくこれから、さまざまな専門職種が子どもたちに、より集中的に注力していくようになります。「子ども大事~」となるのはありがたいですが、もう少し民間や地域で育てていくというスキームを残しておくべきではないかなと思うのです。
母子保健分野のなかで重要な部分もあるから、医療で守らなければならない部分と、ここは大丈夫じゃないという部分は分けて、連携できるところは官民協働で見守っていく、昔ながらの子育てができる。そういうことが大事だと思える当事者を作って、地域で育てていける環境を作っていきたいなと思っています。
そこで重要なのが、専門的な立場で何かするというより、または、専門職であってもいち地域の人として「となりのおばちゃん」みたいに動ける人。びーのびーのの先生たちも「となりのおばちゃん」がいちばんの専門性とおっしゃいます。
いまはどうしても、何かあれば専門職に相談しにいくというフローがありますが、群れで遊ぶと汚れたりする経験をして、「ああ、わたしも昔そうだったわ」と思い出し、支え合いの基盤をつくりながら過ごしていくことで、専門職の支援がより生きてくることができるのではないでしょうか。
─そんなとき、地域に相談できるスキームや「となりのおばちゃん」がいれば心強いですよね。地域に新たな子育てのスキームができることで、地域の新しいつながり方にも発展してきます。ぜひ、今後のご活躍と目標の達成を応援しています。
編集部のひとこと

編集長
かなちゃん
学識者ではないのに分野に精通し、ビジネスマンではないのに次々と事業を育てる原さん。3児の母であり「子育て支援」に身を置きながら、家庭のにおいがしない、不思議な方。
インタビュー以前に何度かお目にかかる機会があったのですが、原さんのご活躍のハードさとは真逆のやわらかくフラットな雰囲気でいつも迎えてくださり、原さんへの興味は募る一方でした。
びーのびーのを立ち上げる前、専業主婦時代、「人をつなげるのではなく、人につないでもらう人」だったとうかがったとき、とても意外な印象を受けましたが、じつはそれが、本来の原さんの姿なのかもしれないと今になって思います。
見聞きした原さんの肩書や活躍で、原さんを勝手に「パワフルでアクティブな人」と位置付けていたのかもしれません。
自分から行動するよりも、目の前に来たことに自分のペースで対峙する。
目の前のことを「超・原さんペース」で受け止められること、これが原さんのいちばんの強みなのかもしれないと思いました。
- 認定NPO法人びーのびーの:
- https://bi-no.org/
- COCOしのはら:
- https://bi-no.org/coco-shinohara
編集部メンバー
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ふたりの子どもがいるワーママ。お酒が好き。とにかく声が大きい。 |
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家事全般、特に料理が得意な新人ライター。気も声も小さい。 |
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