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輝く女性インタビュー

肩書のない私が“保護者の声を聴く”ことを通してたどりついた“今“ 一般社団法人フラットガーデン代表 松岡美子さんインタビュー

一般社団法人フラットガーデン代表 松岡美子さんは、横浜市緑区にある多世代の地域交流カフェ「レモンの庭」を運営する法人の代表です。松岡さんのプロフィールには、さまざまな委員や協議会へ参加した記録が並んでいます。横浜公立保育園民営化選考委員、社会教育委員、横浜市こども・こそだて会議委員、救急医療検討委員会、緑区乳幼児期の発達支援に関わる機関連絡会、横浜市バリアフリー検討協議会などなど。歴任のかずかずに、「この方はいったい、何を生業としている人なのだろう?」と素直な驚きと強烈な興味をいだきました。
2020年3月に、14年間務めた子育て支援拠点の法人理事長を退き、「次のステージ」へ踏み出したという松岡さん。これまでの活躍と、そこからつながる“今”についてのお話をうかがいました。

 

■原点は武蔵野市時代、子育て井戸端会議

─松岡さん、本日はよろしくお願いします。

松岡さん:よろしくお願いします。

─現在は多世代交流の場づくりをされている松岡さんですが、14年もの長きにわたり子育て支援拠点の施設長を務められたとのこと。松岡さんの原点は、「子育て支援」という理解でよろしいですか?

松岡さん:はい。横浜市に来る前に住んでいた武蔵野市時代の子育て支援活動が原点になるでしょうね。

どのような形で、子育て支援の世界に入っていったのですか?

松岡さん:武蔵野市は、当時から子どもを保育してもらいながら親が学ぶという場があって、そこに参加したのがはじまり。3カ月くらい学んだあとで、いっしょに学んだ人たちと自助グループを立ち上げて、講演会や旅行を企画するなどしていました。よく利用していた「けやきコミュニティセンター」という所に子育て支援の場がなかったので、何か作らない?と言われ「子育て井戸端会議」という場を作りました。

─自助グループから居場所作りにスムーズに移行したところがすばらしいですね。

松岡さん:私自身、7歳違いのふたりの男の子、しかも育てるのがちょっとたいへんな子どもたちで、いろいろな方に迷惑をかけながらの子育てだったから、そういう親の気持ちを話せる場の大切さもよくわかりましたし、私自身の居場所にもなっていました。1999年に横浜に引っ越してきたのですが、つい最近まで、この子育て井戸端会議は継続していたのですよ。

─20年以上も継続していたということですね。

松岡さん:武蔵野時代の子育てはひとことでいうととても「にぎやか」で「楽しい」ものでした。同じマンションのいろんな世代の子が集まって遊んでいるなかに、自然と子どもたちの世界ができ、自分の子もよそも子もいっしょに育つ、そんなごちゃまぜのなかで、次男が生まれ、赤ちゃんのときから子どもたちみんなでお世話してくれていました。

─武蔵野市時代は、松岡さんの子どもたちにとっても楽しい時代だったのでしょうね。それで、横浜へ引っ越して来てからはどのように変わったのでしょうか?

松岡さん:じつは次男が公立保育園の入園式のときに、園長先生に「この子の様子が気になります。」と言われて、その場で療育センターに電話しましょうと言われたのです。

─突然「気になる」と言われてびっくりされましたよね?

松岡さん:あまりしゃべらない子だなとは思っていましたが、保育のプロが見て感じることがあるのか・・・と。療育センターのことも知らないし、なぜいま電話しなくてはならないのかわからなかったのですが、のちに診てもらうのにすごく時間がかかるからだとわかりました。そしてもし障害児であるなら、この園には入れてもらえないのだろうな、と思いました。

─ではやはり保育園には入れなかったのですか?

松岡さん:いいえ。不安でいっぱいの私に「おかあさんあなたひとりではありませんよ、これからは私たちもいっしょにこの子をみていきましょう」と園長先生が言ってくださったのです。どれだけこのときの言葉に救われたことか。園長先生の言葉はいまでも私の宝物です。のちに次男は療育センターで「自閉症」の診断を受けましたが、保育園の先生たちや子どもたちのなかで、彼なりのペースでいっしょになんでもやって、たくさんの楽しい思いのなかで成長していったと思います。

─家族以外に相談できる人や支えてくれる人の存在を確信できることは大事なことですね。

松岡さん:はい。不安な時にかけてもらったひとことで救われた経験が私の子育て支援の原点となり、その後の活動の礎となりました。それまでの私は、音大を卒業したあと、子どもたちにピアノを教えていたのですが、いま考えると我が子に障害があることがわかったこの時期が、わたしのターニングポイントになっているのかもしれませんね。

─「ひとりの保護者」として社会にかかわってきた松岡さんが、ここから子育て支援のプロとしての道を歩み始めたということですね。

 

■《よこはま1万人子育てフォーラム》生の声がエネルギーを生む場所

─横浜に来て、子育て支援活動に力の分配をシフトしてから、どのような活動を行われたのですか?

松岡さん:じつは、武蔵野時代に参加したかったけどできなかった方の講座が横浜でも開催されると知って「今度こそは!」と、参加したのです。講座のあとお話をうかがいに行ったときに「君たち、これからはね“民の力”だよ。自分たちの声で社会を動かすことだよ」と言ってくださり、感銘を受けた私は、その場で講座を企画していた子育て支援団体に入ることにしました。

この会に入って、料理が好きな人や自然が好きな人などたくさんの人と出会い、この方たちと、障害への理解を深め、障害があってもなくてもいっしょに育つことをテーマにした講座や映画の上映、コンサートなども行いました。「子育て中でも仲間がいればできる!」と実感しました。

また「ママコミ」という子育て情報誌を作り、自分たちで取材をして社会的なテーマも扱いました。記事を書きパソコンを使って編集も行う、今の私の活動を助けるスキルを、この活動で身に付けたようにも思います。

─市民活動を行うなかで、さまざまなスキルを身につけていったのですね。

松岡さん:2000年に横浜市が開催した横浜市18区で子育て支援をしている団体が集まる【子どもを中心とした地域づくりシンポジウム】に、わたしは緑区の代表として参加しました。このシンポジウムに参加した団体が、「この1回だけで終わってしまうのはもったいない」となり、1万人の子育て中の親の声を集めることになりました。「横浜市に足りない物って何だろう?」「子育て中の家庭に必要なものは何だろう?」という生の声を集めて市民提言として横浜市に届けました。そしてそのときのメンバーで、横浜市の子育て支援のネットワーク組織ができました。

─まさに“民の力”ですね。

松岡さん:生の声を集めた私たちは、当時の横浜市の子育て関連部署の方々からヒアリングを受ける機会もありました。横浜市には、児童館など親子が主役になれる場所がなかったので、“親子の常設の居場所”を求める声がたくさんあることを伝えました。しかしだからと言って、行政がポンと施設を作って渡してしまうのではなく、どんな場所を作っていくのか、どんな運営をしていくかのプロセスを、市民と行政がいっしょに考え、作っていくことが大切ではと伝えました。これが横浜市との協働事業として、地域子育て支援拠点作りにつながったと思います。

─当事者である子育て中の親たちが、親の声を集め、その声を行政に届けてじっさいの形にしたということですね。横浜市各区にある子育て支援施設は、すごいエネルギーをもった場所だったのですね!!

松岡さん:それまではほとんどがボランティアとして行っていた地域の子育て支援を「仕事」にしていくことも大切だと思いました。地域で活動しているときに、せっかく力のある方がいても、子どもの学費のためとパート勤めに行ってしまい、市民活動を継続していくむずかしさを目の当たりにしていたからです。ですから、市民団体がNPO法人となり、子育て支援事業を市と協働で行い仕事としてやっていく、そんな動きが横浜の子育て支援のひとつの形となっていったと思います。

 

■《あなたの声》を聴くことに向き合った10年

─子育て支援のネットワーク組織の活動を通じて多くの子育て中の親の声を直に聞いたことで、「“市民の生の声”を聞かせてほしい」と、行政などからさまざまな委員にと声がかかるようになったのですね。

松岡さん:そうですね。横浜市民になって間もない時期に世話人代表となり、さまざまな委員会に出席するようになったのですが、私自身何の経歴もなかったので「私は子育て中の親の生声を届けるパイプ役」という責任を感じながら委員活動をしていました。

─歴任された多くの委員や参加された協議会などのなかで、とくに思い出深いものはありますか?

松岡さん:そうですね、大変だったという意味では横浜市の【公立保育園民営化選考委員】でしょうか。当時公立保育園の民営化についてはものすごい反対があり、半端ない数の陳情書も届きました。

私たち委員は、民営化に賛成の立場というのではなく、民営化にあたってどんな保育園を選んだらよいのかを見極め、そして全国から応募してきたたくさんの法人からその保育園を選ぶという役割を担っていました。

─現在の横浜市ではほとんどの保育園が民営化されています。現役保育園世代の保護者にとっては今が当たり前なのでしょうが、当時、民営化直前の保護者は、民営化によって何が変わることを恐れていたのでしょうか?

松岡さん:まずは先生が変わってしまうことでしょうね。運営法人が変われば違う先生になってしまうことが、子どもたちや親にとってどれだけ不安が大きいかはよくわかります。私の障害をもった次男も公立保育園に行っていましたが、年齢を重ねた経験豊かな先生もたくさんいらっしゃり、その先生方がいなくなることが、とくに障害をもった子どもたちへの影響が大きいと心配されていました。

─安心できる人が突然いなくなるなんて、小さな子どもたちは不安になりますよね。面倒をみてくれるおとながいればいいということではないのですね。

松岡さん:保育はただお子さんを預かり、一定の時間の安全を保証するだけが目的ではなく、「子どもを育てる」ということができなくてはいけないと思います。私は保育の専門家ではありませんでしたが、ひとりの保護者として親御さんたちの不安は本当によくわかりました。民営化を覆すことができないのなら、今までよりよい保育を行う事業者を選ぶために私たち選考委員は「なにを大切にしたいか?」「いままでよりいい保育とは?」と、一人ひとりの保護者の声をていねいに聴くことが大切だと思いました。

私は副委員長をしていたので、シンポジウムや厳しい場面にも赴くこともあり、今まで経験したことのない状況にも会いました。すると委員の中に「ぼくはヤジとか慣れているから大丈夫だよ!何かあったらぼくが対応するよ」と言ってくださる先生がいらっしゃいました。「先生、どうしてヤジに慣れているの??」と聞くと、先生は日本三大ドヤ街のひとつと言われる横浜市中区寿町で、保育園長やアルコール依存症自助グループの理事長などを務めてこられた経験をおもちだったのです。当時の委員たちは、よくその先生の保育園に集まり、先生が作ってくれたカレーをいっしょに食べながら、真剣にこれからの横浜の保育についてそれぞれの立場で語り考えました。とてもたいへんな仕事でしたが、委員全員で選考の仕方や視察の観点などを毎年見直しました。また選考後も、委員の思いを伝えるなど、委員と行政とともに考え作っていきました。そのときの委員は本当に同士みたいなもの。いまでもつながりがあるのですよ。

─松岡さんたちが、自分たちの気持ちに寄り添い同じ目線で考えてくれていることが親御さんたちにも伝わっていったのでしょうね。

松岡さん:親御さんの声を聴くだけでなく、全国から応募してくる法人に対しても、膨大な資料を読み込み現地へうかがい、保育を直に見て選考する、そんな活動を、副委員長として10年間させていただき「子どもにとって何が大事か」ということを学ばせてもらった10年だったと思います。

 

■「地域が子どもを育てる」―これからの私。

─さて、松岡さんのたくさんの経歴は、「人の話を聴く」活動が軸となり広がり続けてきたものだと分かりました。その豊富な経験を糧に、子育て支援分野から移行した次のステージで、どのようなことをめざしているのでしょうか?

松岡さん:現在一般社団法人フラットガーデンが運営している「レモンの庭」では、横浜市介護予防・生活支援補助事業(サービスB)を行っています。でもわたしは、高齢者だけを支援しているつもりはなくて、さまざまな世代や立場の方が互いに支援し合い、互いの力を借りようと思っています。

─支援対象である高齢者の力も借りるのですか?

松岡さん:横浜市のお引き受けした委員のなかに、「社会教育委員」というのもありました。最初は私自身が「社会教育ってなんですか?」と聞いてしまいました(笑)。すると、「松岡さんがやっていることが社会教育なのですよ」と言ってくださる方がいました。

つまり地域のなかで多様な人たちが学ぶ―それは、先生から講義を受けるというのではなく、子どもから、若者から、お年寄りから互いに学ぶこと、それが社会教育なのだと。今、多世代交流カフェ「レモンの庭」が、そういうことができる場所になっていると思います。介護予防プログラムとして行っているニットや縫い物カフェも、多世代が集まり一方的に教えるのではなく、やりたいことをやりたいときに自らする、違うことをやったとしてもそれでもいいといえる場にしています。

また「スマホ・パソコンなんでも相談」というプログラムは、社会に出にくい若者が活躍する場にもなっているし、若者が高齢者から学ぶ機会も生んでいます。

ここは、生きづらさを抱える人や、盲、聾者、車椅子の方も遊びに来る場であり、さまざまな立場の方が話せる場でもあるのです。

─なるほど。高齢者施設などの片方向の支援ではなく、双方向に作用することもあれば、環境全体に影響できる場でもあるということでしょうか。

松岡さん:くらしていくなかで何か問題が起こったとき、それを一方的な見方で決めつけ排除するのではなく、多様な考えをもつ人たちのなかで見てみると違う見方ができますよね。そのことで互いを知り、学び合う機会はいくつになっても得られると思います。

地域の中に誰もがいつでもそんな経験ができ、そしてそこから笑い声が聞こえ、おいしいね、楽しいね、あなたに会えてよかった、そんな声が聞こえてくる居場所があちこちにできて、互いに応援し合えるネットワークができたらいいですね。

 

編集部のひとこと

編集長

かなちゃん

松岡さんの活動の歴史を知り、さまざまな経歴に深い納得感を得ました。松岡さんがいま新しいステージで進めようとしていることは、これまでの経験の積み重ねで気づいたことというよりは、武蔵野市時代に得ていた普遍的な価値のための実践なのだろうと感じました。

エネルギーに満ちた松岡さんの表情とお話に、私もパワーをいただきました。これからも松岡美子さんはじめ、一般社団法人フラットガーデンが運営するレモンの庭の活動から目が離せません。

編集部メンバー

編集長
かなさん

ふたりの子どもがいるワーママ。お酒が好き。とにかく声が大きい。

ライター
せいくん

家事全般、特に料理が得意な新人ライター。気も声も小さい。

ライター
ゆめちゃん

好奇心旺盛。食べ歩きや女子会が大好き。いつもTシャツ。

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