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輝く男性インタビュー

【夢中】が日常。ドラゴンボールがヒーローだった少年 フリーイラストレーター寺澤としやさんインタビュー


神奈川県川崎市のイラストレーター寺澤としやさんの作品を初めて見たのは2年ほど前。たいせつじかんの取材で訪れたASBボクシングクラブ(横浜市都筑区・鴨居)で、壁一面に飾られているスタッフ一人ひとりの似顔絵イラストを見たのが最初でした。本人との酷似性はもちろんですが、その人が放つイメージを「クスッ」と笑えるテイストに仕上げているところに心惹かれた記憶があります。それからずっと「この絵を描く人はどんな人なのだろう?」と興味をもち続けていると、偶然にも寺澤としやさんにお会いするきっかけがあり、今回のインタビューが実現しました。
プロボクサーからアーティストへ転身した寺澤としやさん、その軌跡に迫ります!

 

■“ドラゴン”がぼくの原点


-本日はよろしくお願いします。

寺澤さん:よろしくお願いします。

-開口一番、大変失礼かな~とは思うのですが、最初にお姿を拝見したとき、全身黒コーデで体格もよかったので「こわい人かも~」と思ってしまいました(笑)。でも、やさしい笑顔を見て安心しました。イラストレーターになる前はプロボクサーとして活躍されたともうかがいましたが。

寺澤さん:はい。15歳からボクシングを始めて、18歳から25歳まではプロボクサーとしてリングに立っていました。

-15歳でいきなりボクシングを始めたのには、なにかきっかけがあったのですか?

寺澤さん:格闘技が好きだったから―というのが単純な理由かな。ボクシングを始める前には少林寺拳法もやっていました。

-では子どものころからスポーツ好きでいらっしゃったのですね?

寺澤さん:いいえ、部活も運動部ではありませんでしたし、小・中学生のころは絵ばかり描いていました。ドラゴンボールとかブルースリーが大好きで、格闘シーンの絵ばかり描いていましたね。格闘技を始めたのもそれが影響していますね。

-絵を描き始めたのはいくつぐらいだったのですか?

寺澤さん:3歳くらいから書いていた記憶はありますね。とにかく描くことが好きだった。

-それでは図工とか美術なども得意だったのでしょうね?

寺澤さん:まったく成績はよくなかった(笑)!図工や美術は不得意というより好きではなかったです。適当にやって提出しちゃう。だから成績は悪かったです。ぼくは自由帳みたいな白い紙にいつもひとりで自由に描いていました。中学2年のころ、いっしょに絵を描く友人に出会ってから、いっしょに描いたり絵を見せ合ったり、藤子不二雄さんのように、ふたりでひとつのマンガ作品を作ったりするようになりました。ストーリーはまったく覚えていないけど、やっぱり格闘マンガでしたね(笑)

 

■孫悟空、修行の日々


-ドラゴンボールの世界にあこがれて少林寺拳法を始めてみると、自分が主人公になったようで楽しかったのではないですか?

寺澤さん:うーん・・・じつは少林寺拳法はカタとか技が多くて、想像していたより実践的ではなく、あまりおもしろくなかったのです。

-それで打撃実践型のボクシングに転向したのですか?

寺澤さん:中学を卒業したら働こうと思っていたのですが、学校の先生が横浜市神奈川区にある私立武相高校のパンフレットを渡してくれて。そこに載っていたボクシング部の記事を見て進学を決めました。

-つまり、ボクシングをするために高校へ行ったということですね(笑)。しかし、武相高校ボクシング部といえば、多くの選手がインターハイに出場する強豪校ですよね?運動部未経験の寺澤さんにとって、とても厳しい部活だったのではないですか?

寺澤さん:はい、とても厳しい部活でした。ぼくが高校に入学した年は、現在の名監督・梶田先生がボクシング部の顧問になって2年目の年でした。ラグビー部から来た梶田先生の指導は本当に厳しくて、ぼくが入学する前にいた先輩たちは、その1年でほとんどが辞めてしまっていました。

-少林寺拳法の経験しかない寺澤さんはボクシングは初心者ですよね?先輩もいないなかで、ボクシングの指導はしてもらえたのですか?

寺澤さん:いいえ、ジャブも教えてくれませんでした。毎日毎日、とにかく走らされましたね。「(この練習に)ついてこれたら教えてやる」って感じ(笑)。先生は指導も厳しかったですが、とても怖かった。

-どのように怖かったのでしょうか?

寺澤さん:先生が顧問に変わる以前のボクシング部には、しばしば不祥事を起こすいわゆる素行の良くない部員もいたらしいのですが、当時元プロボクサーの竹原信二さんがボクシングを通して不良を更生させていくテレビ番組があって、それを地で行く感じでしたね。とりあえずみんな練習がきつくて泣いていました。

-男子高校生が泣いてしまうほどの練習の厳しさ・・・想像を絶します。

寺澤さん:ぼくの年代は30人くらい入部しましたが、結局ぼくを含めて4人しか残りませんでした。

現役時代の寺澤さん。現在のやさしい笑顔と対照的な鋭い表情

-そんな部活一色の高校時代、絵は描いていたのですか?

寺澤さん:はい。相変わらず格闘する絵でしたが、ずっと描いていましたね。高校卒業後は、絵を描きつつも、プロボクサーに軸を置いて過ごしました。25歳でボクサーを引退しますが、引き際はすっきりしていました。ぼくのなかでは、次は漫画家をめざすという道がはっきりしていましたから。ただ、漫画は4年描いてみて芽が出なかった。29歳で漫画家はあきらめて、ボクシングのトレーナーとしてリスタートしました。しかし、ここからの2年間が、ぼくにとってのターニングポイントになったのかもしれません。

 

■プロとしてペンを握る

-ボクシングトレーナーとして再スタートしたあとの2年間がターニングポイントになったということですが、どういうことでしょうか?

寺澤さん:この2年間に、インストラクターについてたくさんのジムへうかがう機会がありました。そこでの出会いのなかで、ぼくの絵を見て「絵を描いて」というオーダーをいただけるようになったのです。お金をいただいて絵を描くという方向性が見えてきたということです。

-そのひとつが「似顔絵」なのですね?

寺澤さん:はい。最初は似顔絵のオーダーが多かったですね。

-こちらがこれまで書かれた似顔絵作品ですね?現世界チャンピオンの井上尚弥選手や元世界チャンピオンの八重樫東さんなど、そうそうたる顔ぶれですね!すごい!

寺澤さん:結婚式やお誕生日などお祝いのためにオーダーをいただいていたのが、いろいろな方につながって、大橋ジムから井上選手のオフィシャルTシャツ用の似顔絵の依頼が来て描かせてもらいました。本当にたくさんの選手の方から依頼をいただくようになって、そのTシャツを着て入場してくれる選手もいてすごくうれしかったです。

-同じ似顔絵でも、ずいぶんテイストが違うものもあるのですね。

寺澤さん:依頼によって親密度を高くとか、精密度を高くとかご希望がありますから雰囲気がガラッと違うものになることもあります。ふだんは送ってもらった写真をみて似顔絵を描くことが多いですが、直接会える人でしたら好きな食べ物とか音楽とか映画とかを聞くようにしています。「この音楽が好きならたぶんこんな雰囲気が好きなのだろうな」という感じでイメージを近づけていきます。

-漫画家は異なる作品でも絵の作風が似ていて、「これは●●先生の作品だ」と読者が識別できることが多いと思うのですが、寺澤さんの作風はどのように表現すればいいと思いますか?

寺澤さん:お金をいただいて絵を描いているわけですから、依頼主が希望されるテイストに寄せることは重要だと思っています。でも、ぼくがぼくらしく自由に描いているのは個展用の作品だろうなと思います。(第一章の写真―寺澤さんが手にもっている絵など)。
以前は(在廊する)個展を1年に1,2回は開催していたのですが、コロナ禍でなかなか発表する場がなくなってしまっていて。そのような状況もあって、このコロナ禍は一般公募の作品作りをする機会が増えてきました。

 

■名編集者と二人三脚

-ホームページで数々の受賞歴を拝見して驚きました。一般公募に本格的に参加し始めたのはコロナ禍以降になると思うのですが、どのくらいから手ごたえを感じ始めたのでしょうか?

寺澤さん:最初は年間12個の受賞を目標に掲げたのですが、2020年は24個の受賞をいただけました。しかし、トータルで300作品くらい応募しています。でも、そんなものだと思います。初めていただいたのが「読売巨人軍 ジャイアンツ WITH FANSマスク」の優秀賞。ここまででも100作品以上は応募していましたね。

-100個出しても結果が出なかったとき、「もういやだな」とか「このまま入賞できないのではないかな」などネガティブな気持ちになりませんでしたか?

寺澤さん:全然なりませんでした。描くことが好きなので。コロナで作品を発表する場がなくなったとき、こんな発表の場もあるよと奥さんが背中を押してくれました。とにかく描けるということでぼくは幸せ。

-奥さまのアドバイスはすばらしいですね。

寺澤さん:はい!それに、彼女の直感力はすごいと思います。たとえば、一般公募は作品作りの条件とかコンセプトが決まっているのですが、ぼくは長い文章を読むのが苦手なので、彼女が代わりに要綱を読んでくれて、「こういう意味じゃない?」とぼくに翻訳してくれます。ぼくはそのアドバイスに添って作品作りをするのですが、「これは受からないと思うよ・・・」と思うこともしばしば・・・。でも、彼女の直感に従うと受賞してしまうのですよね、その作品が!こういうとき、やっぱり彼女はすごいな!!と思います。

-奥さまは寺澤さんのよき「編集者」といったところでしょうか。

寺澤さん:そうですね。そして、よきマネージャーでもある。近ごろは海外や大きな企業からオファーをいただく機会が増えてきましたが、ぼくは事務的なことはさっぱり分からない。彼女がしっかりとサポートしてくれているので、ぼくは大好きな絵を思う存分描くことに集中できています。

 

■飯、「描く」、風呂、寝る。

-描くことが大好き!描けることが幸せ!とおっしゃる寺澤さんですが、ふだんはどのくらい絵を描かれているのでしょうか?

寺澤さん:現在もボクシングジムでトレーナーは続けているのですが、その時間以外は基本的に描いています。ごはん食べて、描く、風呂入って寝る時間まで、描く。そんな感じです。ジムが終わったらササーっと帰ってしまう、だって早く描きたいから(笑)

-仕事に追われて描くというのではなくて、描きたい気持ちが止められないという感じですね(笑)

寺澤さん:そうですね。空いた時間ができたり、仕事の絵を描くのに疲れてしまったら、ノートにボールペン一本でらくがきをします。こんなの作ろうとか、この絵を描こうとかではなくて、何も考えずぼくの右手に任せて描く世界。書き終わってみたら、自分自身でも「ああ、こんなのができた」という感じがおもしろいし、楽しいのです。

-これがボールペン一本で描かれているのですか?らくがき!?いいえ、これもうアート作品です!(上写真)

寺澤さん:ありがとうございます(笑)。
漫画家がだめだったときのことを考えると、今の生活は奇跡。大好きな絵を一日中描いていられるなんて、ぼくはぼくみたいな幸せな人を見たことない(笑)

-今の状況となるために、ボクシングに向き合った時間は生きていると思いますか?

寺澤さん:ものすごく生きていると思っています。ボクシングの先輩が仕事をつなげてくれたということもありますが、そもそもボクシングやっていなかったらこんなに絵を描いていないと思います。プロボクサーとして大きな結果は残せなかったですが、本気でやったことには、何かがついてくるのだなと心底思います。

 

編集部のひとこと

編集長

かなちゃん

マスク・革ジャン・ボトムスも、全身黒コーデで現れた寺澤さんを見た第一印象は、「もしかして、こわい人?」。しかし、写真撮影のためにマスクを外していただくと、なんともやさしい笑顔をされるのです。こんなギャップからスタートしたインタビューは、ドラゴンボールに心酔し、絵を描くことを純粋に愛する、とてもピュアな寺澤さんを見たかと思うと、厳しいボクシングの世界を耐え抜き、プロのイラストレーターとして高い意識をもつストイックな寺澤さんが出現したりと、ジェットコースターのようなエキサイティングな時間となりました。
インタビューの最後に「今日は本当にありがとうございました。これ、よかったらもらってください」と、こそっとカバンから小さな包みを取り出して、アマビエのイラストを贈って下くださいました。


なんと素敵なイラストでしょう。寺澤さんの笑顔と同じく、心をほっこりさせてくれます。
寺澤さんの笑顔、絵を愛するピュアな人柄、そして、あたたかい気遣い―プロボクサーから転身しても、ボクサー時代の周囲の人が寺澤さんを気にかけて力になってくださった、その理由に触れたような気がしました。

編集部メンバー

編集長
かなさん

ふたりの子どもがいるワーママ。お酒が好き。とにかく声が大きい。

ライター
せいくん

家事全般、特に料理が得意な新人ライター。気も声も小さい。

ライター
ゆめちゃん

好奇心旺盛。食べ歩きや女子会が大好き。いつもTシャツ。

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