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輝く男性インタビュー

お店が輝くことでその街の価値を上げる。平塚のフレンチレストランH×M(アッシュエム)オーナーの相山 洋明さんのインタビューです!

JR平塚駅の南口から海まで続く通りにある“Made in 湘南”がコンセプトの大人気フレンチレストランH×M(アッシュエム)。そのオーナーである相山洋明さんに開業当時のお話、フレンチレストランができる地域貢献のお話、そしてコロナ禍で甚大な影響をうけた飲食業界の今そして今後についてなど幅広くお話をうかがってきました。

生産者もスタッフもそしてお客さんもみんなが笑顔になるプラットフォームとして存在するレストランをめざす相山さんの情熱溢れるインタビューとなりました。
ぜひ、お楽しみください。

 

聞き手:たいせつじかん編集部

 

■アッシュエムの開業は突然に

-アッシュエムを開業されるまでの経歴を教えてください。

相山さん:最初は、料理人になろうと思っていたので調理師学校を卒業しました。

そこから4年半は、渋谷にあるレストランでキッチンではなく接客として働き、そのあとにいくつかのお店を経験しました。その時点から、料理人ではなく接客側のプロとしてやっていこうと思っていました。

そして、25歳のときにフレンチの巨匠である勝又登シェフが経営される箱根の「オーベルジュ オー・ミラドー」でお世話になり最終的には統括支配人をつとめさせていただきました。

そのあとに、32歳でアッシュエムを開業しました。

32歳の若さでフレンチの有名店で統括支配人であれば順風満帆なキャリアかと思うのですが、なぜ独立開業されたのですか?

相山さん:私は今年で51歳となりますが、我々の世代でレストランにかかわる人間の大多数はいつか自分の店がもちたいと漠然と考えていたように思いますね。

本当にいろいろなバックグラウンドをもった人たちがいましたからね(笑)。みんな手に職をつけて一国一城の主になるんだという価値観のなかで仕事をしていたということは理由のひとつとしてあると思います。

しかし、最終的なきっかけは、勝又シェフとの衝突でした。本当にお店が大好きで寝食を忘れて働くような毎日に心から充実感を覚えていたのですが、ちょっとしたボタンのかけ違いがあり、お店を辞めることになりました。

そして、シェフへの反骨精神もあり、レストランの経営者になって見返してやるんだという気持ちで独立へ向かっていきましたね。

-そうなると、ご自分のお店の構想などがとくにない状態でお店を辞めてしまったのですか?

相山さん:そうなんですよね(笑)。気持ち先行型退職ですよね。

-では、そこからお店のコンセプトをお考えになったのですか?

相山さん:コンセプトはある程度決まっていました。

フランスのミシュラン星付きレストランの多くは地方都市、もっと言えば立地が明らかに悪い田舎にあることが多いのです。そのレストランに行くためだけにわざわざ時間をかける必要があるかが、判断基準のひとつになっているといってもいいでしょうか。

そうなると、その場所の地元生産者の素材を生かした料理が中心となります。また、レストランから見える景色や雰囲気、音、香りなども総合的に含まれると考えると、それは都市部では絶対に食べられない料理となるので価値がより高まります。

勝又シェフが箱根でお店をもった理由もこのことに立脚して考えられたことであると知り、そしてその考えにどっぷりと影響されてきましたから東京ではなく地方都市でと考えていました。

-では、場所についてはどうだったのですか?

相山さん:場所は湘南エリアがいいなと考えており葉山から小田原までのエリアで探しました。

湘南エリアはどうしてもハワイやカリフォルニアの雰囲気が強くフレンチのお店となかなかマッチしないように感じていました。

しかし、平塚駅の南口を見たときに当時は良い意味でほかのエリアに比べて余白がありました。ハワイやカリフォルニアの雰囲気もなくここにしようと決めました。

そして、もうひとつが私はサッカーが大好きなのでサッカーチームのある街ということも魅力のひとつでしたね(笑)。

-お店を出す場所もすぐ見つかったのですか?

相山さん:そうですね。今の場所よりも海に近い場所で、築年数が古くてオンボロなトタン屋根の建て物をすべて自分で直してお店にしました。

本当に古い建て物でしたから、家族を連れてきたときにはみんな目が点になっていました。

でも、テナントの中に入るよりも自分好みに手作りしていけるので逆に良かったと思いました。そこからスタートしたんですよね。

 

■天邪鬼であれ

-初めてのお店であれば、余白のある場所ではなく人通りも多くあり、集客力のあるテナントに入った方がいいのではないかと思います。しかし、そういったことの逆にいっているように思いますが、ご自身のお考えに不安はなかったのですか?

相山さん:不安は当然ありましたが、私の根本的な考え方に「天邪鬼であれ」という言葉あります。

これも勝又シェフの教えなのですが、時代の流れと真逆なものをドーンと提供するんです。それが、時間を経て気がつくと最先端になっているということがあります。

物ごとはタイミングがありますからあまり早くやりすぎても流行が来るまでに時間が経ってしまいます。しかし、そこを見極めていけば情報発信の最先端になるということが分かっていましたからやってみようと思いました。

-みんながやっていないようなこととか、否定されているようなことに価値があるかもしれないということなんですね!これは、いろいろなことに置き換えて考えられそうですね。

相山さん:その考えがあったので、オープン後は「Made in 湘南」、地産地消にこだわりました。

-平塚を中心とした生産者の食材にこだわるということですね。

相山さん:そうですね。でも、アッシュエムがオープンしたのは今から19年前ですので、「地産地消」という言葉が一般には浸透していませんでしたから、なかなか思うようにいきませんでした。

-具体的にはどういった課題があったのですか?

相山さん:まずお客さまが地産地消に価値を感じていただけない状態でした。わかりやすい例を挙げると平塚駅で平塚の野菜を集めたイベントを行っても集客にそれほど影響はありませんが、北海道物産展だといっきに人が集まるというような状況を見たときには心が揺らぎました。

-お客さまが求めていないのではないということだったわけですね。

相山さん:サスティナブルとかSDG’sなどの言葉が浸透した今とまったく価値観が違いましたね。

あとは、生産者側としっかりお付き合いをさせていただき、提供する料理の食材のうち地元の食材が占める割合が8割程度になるまでに7〜8年かかりました。

今でこそJAをとおさず独自ルートで販売される生産者も増えましたが、そちらも当時はなかなか理解を得ることに苦労しました。

-しかし、先ほどのお話にもあったように当時は誰もやっていない地産地消にこだわった結果として、今ではかなり価値の高いサービスになったということなんですね。

相山さん:そうですね。私たちの世代と今の20〜30代の方の価値観が違うように時代も大きく変わりましたね。

-そういった価値観の変化にあわせて働くスタッフへの考え方も変わったというお話をうかがったのですが、そこについても教えてください。

相山さん:そうですね。私自身が従来の飲食業界の当たり前を実践してきた張本人でもあったので、労働環境は多少悪くてもそういうものだというような考えを意識的に変えることなくやってきていました。

しかし、オープン10周年の際にたくさんの方にお祝いしていただき、順風満帆とは言えないまでもたくさんの評価をいただきました。

そのときにあらためて10年を振り返った際、たくさんの離職したスタッフの顔が浮かんできました。スタッフのために少しでもお店を大きくしようとがんばっていたのに離職が止まらない状況に向きあった際に、何かを変えなければいけないと思いました。

そして、いちばん変わらなければいけないのは私なのだと強く思いました。

このお店のスタートは、勝又シェフにも負けないお店を作りたいという、言うなれば負のエネルギーが原動力にありました。

ベースがこれではハッピーになることは不可能です。ですから、スタッフに参加してもらい新しく我々の理念を作りました。

「たくさんの笑顔とありがとうを創出し、食の力で世界を明るく元気にしよう」

「すべての人の幸せに貢献しよう」

このふたつの理念を中心にすべてを考えることに切り替えました。

-それまでのお店の成功を支えてきたやり方を変えるということですから大きな決断であったのではないでしょうか?

相山さん:そうですね。でも一つひとつスタッフといっしょになって変えていきました。でも、このことがコロナ禍を乗り越えるための原動力にもなりましたので、やってよかったと思っていますし、今では我々の強みはこの理念のもとにあるチームワークであると考えています。

これは、ほかのお店にはないですし、簡単には真似できない強みだと思います。

 

■困難を乗り越えた先に見据える飲食業界の大いなる可能性

 -コロナ禍ではたくさんの飲食店が大きな影響を受けアッシュエムも例外ではないと思いますが、いかがですか?

相山さん:私たちにとっては本当にタイミングが悪かったです。2020年の6月に横浜に新しく「ユニバーサルダイニング・ONE」というお店をオープンすることが決まっていました。

開店資金の調達などを含めてさまざまな困難もありながら、進めてきたプロジェクトでしたし、インバウンド需要に沸く横浜でさらにオリンピックを見越したものでしたので大きな希望を抱いたものでしたが、すべてだめになってしまいました。

飲食店経営を長く続けてきたのでいろいろな困難は経験していましたし、ある程度の困難に耐性ができていると思っていた私でも2020年の年末ごろは心が折れかけていましたね(笑)。

-そのピンチをどうやって乗り越えたのですか?

相山さん:すべてスタッフのおかげです。スタッフ一人ひとりが積極的に協力しチーム一丸となってピンチに挑んでくれました。

その結果、2020年12月のアッシュエムの単月売上は過去最高を記録しました。

これは、理念を作り変えてから続けてきたチーム作りがあったからだと思っています。

-みんなで自分たちのレストランを守っていこうと一致団結してコロナに挑んだんですね。

相山さん:本当にそうです。コロナ禍もいつかは収束しますから、この経験はこのあとに大きな財産になるはずです。

-コロナ禍を経験し、人が顔を合わせて食事を楽しむことのすばらしさをあらためて実感したと感じていますが、相山さんはコロナ後の飲食業界はどのように変わっていくとお考えですか?

相山さん:おそらく、アフターコロナと言われるころに生き残っている飲食店の多くは、本当のファン、常連のお客さまに支えられているお店だと思います。

ですから、お店側の意識も大きく変えていかなければいけないでしょう。もしかしたら大きな変化はこのあとにこそやってくるのかもしれませんね。

-では、最後に相山さんの今後のビジョンについて教えてください!

相山さん:これまでは1年先、2年先のことを考えていましたが、今は100年続くお店を作りたいと思うようになりました。

そのためには、事業を長い時間軸で捉え、そして目の間を見るようにします。

そうするとおのずと意思決定の変化が現れます。100年を意識すれば、自然と持続可能な方法を選ぶようになりますし、農業を中心とした一次産業の課題、環境問題にも目がいくようになります。

私は、コロナ禍をとおして飲食店の価値が大きく見直され、これまでとはまったく違う大きな可能性を感じています。そのためには、飲食店自体がどんどん変化に対応し、新しい提案をしていく必要がありますが、その先にはきっと明るい未来が待っていると信じています。

-今日はありがとうございました。

 

編集部のひとこと

ライター

ゆめちゃん

困難は人を強くするということを体現している相山さんとスタッフのみなさんのお話はコロナ禍で苦しい思いをしているさまざまな方の希望となるお話だと感じました。

耐え忍んだ先に見える希望を全力で掴みに行くぞという力強い言葉の一つひとつに胸が震えました。

諦めない心、諦めない強さを学んだと相山さんはおっしゃいました。

もし元気をなくすようなことがあれば、アッシュエムのおいしい食事を楽しまれてはいかがでしょうか?

スタッフの方が元気に迎えてくれると思います!

編集部メンバー

編集長
かなさん

ふたりの子どもがいるワーママ。お酒が好き。とにかく声が大きい。

ライター
せいくん

家事全般、特に料理が得意な新人ライター。気も声も小さい。

ライター
ゆめちゃん

好奇心旺盛。食べ歩きや女子会が大好き。いつもTシャツ。

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