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輝く男性インタビュー

この先の未来にも音楽を届けたい。LIVE HOUSE小田原姿麗人の店長 亀井栄さんインタビューです!

JR鴨宮駅近くの閑静な住宅街にあるLIVEHOUSE小田原姿麗人(おだわらしゃれいど)をご存知ですか?

なぜここにライブハウスがあるのかという単純な興味からインタビューのお願いをしましたが、そこにはたくさんの若者の情熱に支えられてきた地域密着型ライブハウスの姿がありました。

コロナ禍でさまざまなアーティストによるライブ活動が制限されました。それでも、音楽は人々の心にメッセージを伝えるための大切なツールであると信じて新たな挑戦に踏み切った2代目店長の亀井栄(かめいひさし)さんのインタビューをぜひお楽しみください。

 

聞き手:たいせつじかん編集部

 

■もとは祖父のダンスホール

 -まずは、なぜ閑静な住宅街にライブハウスがあるのかというシンプルな質問からいいでしょうか?

亀井さん:そうですよね。良く聞かれますし、ライブをしに来てくれたアーティストさんからも聞かれることが多いですよ(笑)。

ここは、私の祖父が社交ダンスの先生をしていたことがきっかけでもともとはダンスホールとしてスタートしたんです。

建て物自体は、地下1階から地上2階の建て物ですが、地下がダンスホールで1階は商業施設、2階は居住区でした。

LIVE HOUSE小田原姿麗人の外観

-では、そこからどうやってライブハウスになったのですか?

亀井さん:祖父の死後はダンスホールを貸しホールとして営業していたのですが90年代初頭のバンドブームもあり、ここを若者がバンドの練習場として使うことが増えていきました。

そんな若者たちからの「おじさん、ここをライブハウスにしてよ!」という願いを叶えたというか、口車に乗せられたというかというような流れで私の父がダンスホールをライブハウスに変えたんです。

-なんだかドラマになりそうなお話ですね!

亀井さん:そうかもしれませんね。当時は1階がハンバーガー店で、バンドマンたちと父がそのハンバーガー店で語り合ったということなので、この建て物だからこその物語だなと今では思いますね。

-あとは、姿麗人(しゃれいど)という名前も特徴的ですが、何か由来はあるのですか?

亀井さん:名前は、ダンスホールのころから変えていないので当時のままです。

オードリーヘプバーン主演の「シャレード」という映画がありまして、「姿が麗しい人」という社交ダンスからくるイメージを形にしたのだと思います。当時はハイカラだったんでしょうね。

 

■好きな音楽で苦悩したころ

-亀井さんご自身もバンドマンとしてデビューされた経験をおもちだとおうかがいしましたが、やはり音楽は身近なものだったのですね。

亀井さん:ライブハウスができたのは、私が中学生のころでした。言うなればライブハウスが家業でしたから土日になると父の手伝いで音響などを担当していました。

ですから、常にたくさんの音楽に触れられる環境でしたし、その道に進むのは自然の流れであったように思います。

-音楽を始めたきっかけはどういったことでしたか?

亀井さん:ブルーハーツというバンドの音楽を多感なころに聴きギターを始めたことがきっかけです。

そこから高校で組んだ「藍坊主」というバンドで、割と早いうちにメジャーデビューをすることができました。

-メジャーデビューといえば音楽を志す人にとっては大きな目標だろうと思いますのですごいことですよね。

亀井さん:そうですね。でも、デビューが早かったぶん、私は音楽との関係性に悩んでしまいました。

好きで始めた音楽活動が、自分たちだけのものではなくなっていくなかで、商売として音楽を続けていくことに苦しくなってしまい、結局バンドをやめることになりました。

-しかし、バンドを辞めても亀井さんには小田原姿麗人があったんですね。

亀井さん:結果的にはそうですね。私は幸いにも姿麗人のおかげで音楽をやめることなく、音楽にかかわり続けることができました。

 

■ライブハウスは人生が交わる場所

 -ライブハウスをやられていて印象的な思い出やエピソードはありますか?

亀井さん:いろいろありますが、やっぱりここに出演していたバンドが大きく成長していくことですかね。

具体的な名前を出すと「sumika」という4人組のロックバンドは、無名のころから出演してくれていましたが、今では日本武道館でライブをやるほどのビックバンドになりましたね。

こういった、サクセスストーリーを間近で見られることは本当にうれしいことですよね。

-なるほど。でも、このコロナ禍でライブ活動自体ができなくなってしまいましたがやはり影響は大きかったですか?

亀井さん:正直言うと、いち時は廃業を検討したこともありました。

でも、ライブイベントが開催できたときは、さまざまな制約があるなかでも多くのお客さんが集まってくれました。その光景を見たときに、ここはどうにかして残していかなければならないという責務のようなものを感じました。

ライブハウスは、まったく知らない者同士が共通の好きなアーティストの曲を楽しむために集まる場所なんです。

ですから、たくさんの出会いが生まれます。これは、コロナが終わったあとのことを考えてもしっかりと残すべきだし、またみんなで音楽を楽しめるときのためにしっかりと準備しておきたいですね。

-コロナを経験してリアルな場の価値が見直されましたね。

亀井さん:本当にそう思います。音楽も配信がメインとなりスマートフォンで聴く時代ですし、音楽の種類もさまざまになりました。

それでもライブハウスでの音楽を求めているファンの方もたくさんいらっしゃいます。さらには、これまでライブハウスに来たことがなかった人もこれを機会にいらっしゃるかもしれません。

私たちにしか提供できない価値をこれからも届けていけるようにがんばりたいと思います。

-今日はありがとうございました。

 

編集部のひとこと

ライター

せいくん

来年30周年を迎えるという小田原姿麗人。これまでたくさんの生の音楽を届けてきました。そして、ここからさらにその先の未来も音楽を届けていくことにしたというお話に胸が熱くなりました。

コロナ禍を通じ大きな影響を受けた音楽業界。しかし、音楽は常に人の心を揺さぶり、人を前向きにする原動力であることを再認識することができました。

この先、閑静な住宅街にすばらしい音楽があふれる日々が必ず戻ってくるはずです。そのときは、ぜひ一度ここで音楽を聴いてみたいと思いました。

編集部メンバー

編集長
かなさん

ふたりの子どもがいるワーママ。お酒が好き。とにかく声が大きい。

ライター
せいくん

家事全般、特に料理が得意な新人ライター。気も声も小さい。

ライター
ゆめちゃん

好奇心旺盛。食べ歩きや女子会が大好き。いつもTシャツ。

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