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輝く男性インタビュー

過去の栄光にすがるだけではなく、自分たちも新しい道を切り拓く。国の登録有形文化財に指定されている茅ヶ崎館の5代目 森浩章さんインタビュー

創業122年の歴史をもつ茅ヶ崎館で5代目館長を務める森浩章さん

湘南エリアを代表する観光地のひとつ、茅ヶ崎。ここで明治32年に創業した茅ヶ崎館にはたくさんの方が訪れ、茅ヶ崎発展の一翼を担ってきました。

5代目館長の森浩章さんに茅ヶ崎館の歴史や、過去の文化を未来へ継承していくために必要なことなどをお聞きしてきました。

とても興味がかきたてられるインタビューとなりました。ぜひ、お楽しみください。

 

聞き手:たいせつじかん編集部

 

■療養地としての歴史から始まる

茅ヶ崎館の歴史について語る森さん

-まず、茅ヶ崎館の歴史を教えてください。

森さん:茅ヶ崎館は明治32年(1899年)に開館しました。

明治20年代から、西は箱根・湯河原、東は葉山・横須賀までのエリアは別荘地として発展してきました。

当時江戸からは汽車で1時間ほどの距離でしたから、イギリスを見聞してきた政治家や実業家の人たちが避暑地、保養地、別荘地をこのエリアに作っていきました。

ほかには、横浜で仕事をしていた貿易商のイギリス人やドイツ人たちの影響も受けています。

-海外の雰囲気がこの茅ヶ崎や湘南エリアにもあったということでしょうか?

森さん:茅ヶ崎は、ロンドンから汽車で1時間ほどの場所にあるブライトンという町の雰囲気にとくに似ていると言われています。

ヨーロッパではもともと避暑地や療養地という文化がありましたので、そういう文化を日本に取り入れた場所がこの湘南なんです。

汽車で1時間というのは旅行ですよね。日常から離れた場所に身を置くことで心身ともにリラックスできますし、もし何かがあっても戻れる距離ですから、ちょうどいい距離なんです。

-都心から鉄道で1時間の場所というのが重要なんですね。では、その流れで茅ヶ崎もそういう町づくりが行われていったのですか?

森さん:茅ヶ崎は10年ほど遅れて開発が始まりましたが、そのなかで茅ヶ崎館は療養地として歴史が始まりました。

“明治時代の劇聖”と呼ばれた歌舞伎の9代目市川團十郎が6,000坪の屋敷を建てられたことも話題になり、茅ヶ崎の名前が少しずつ広まっていきました。

-歌舞伎役者は今でもスーパースターですが、当時はもっとすごかったでしょうね。

森さん:9代目市川團十郎が移住してきたことで、演劇の創設者と言われている川上音二郎とそのパートナーで日本の女優第1号と言われている貞奴も移住してきました。この流れから大正時代から昭和初期にかけて歌舞伎の方や芸能の方たちが茅ヶ崎に多く住むようになり、芸能の特徴をもつ町が発展してきました。

-茅ヶ崎に芸能関係の方が多く住んでいることは知っていましたが、それにはそういう背景があったんですね!

森さん:そして、そういう環境で育つ子どもたちはその影響を受けますから、自然と芸能の流れができてきます。私も影響を受けて、演劇や舞台に興味をもちましたからね。

それから昭和に入ると脚本家の方々が移住し始め、映画の時代がやってきます。茅ヶ崎館に小津安二郎監督が初めて来館されたのもそのときです。小津監督と仲が良かった柳井隆雄さんや池田忠雄さんが、茅ヶ崎で脚本を書こうよと小津監督を誘ったんですね。昭和12年4月27日火曜日と日記に残っています。

-なるほど〜。人が人を呼び、それにあわせて伝統や文化も繋がっているんですね。

森さん:その日からか小津監督は茅ヶ崎館をえらく気に入ってくれまして、足掛け20年くらい茅ヶ崎館で仕事をされています。

-お住まいではなかったのですよね?

森さん:半分住んでいましたね(笑)。
いちばん長くて180日以上宿泊されていましたから、もう自分の部屋のように使われていました。

 

■歴史を衰退させないために

-小津監督は茅ヶ崎館でどのくらいの映画を作られたのですか?

森さん:8〜9つは作られていますね。

-それだけで小津監督がこの場所を重要視されていたということがわかります。

森さん:私は茅ヶ崎館の仕事に携わってから20数年が経ちますが、時系列ごとに茅ヶ崎を調べていくと、なぜ茅ヶ崎には芸能や湘南ミュージックが栄えていったのかがよくわかりました。

-茅ヶ崎はそれだけ多くの方を受け入れたということもわかりますよね。

森さん:じつは知られていないだけでちゃんと理由はあるんです。これは茅ヶ崎にかぎらずほかの地域にも言えることだと思っています。

情報の集約と発信がとても重要なことなんです。

-では、今はどのような方たちが茅ヶ崎館に来られていますか?

森さん:いまだに助監督や脚本家、小説家の方たちが集まってきます。近年でいちばん有名な方は是枝裕和監督さんですね。

小津安二郎監督が泊まる「二番」の部屋から見える景色

-数々の賞を受賞されている是枝監督ですか!?すごいですね〜。茅ヶ崎館には見えない力があるんですね。

森さん:それは土地の地場ですね。是枝監督も11年連続で来られています。毎回、新作の第1校と言われている初稿を書きに来られていて、それが是枝監督のルーティンなんですね。

-ファンの方も来られるんじゃないですか?

森さん:ありがたいことにそういう方も多いです。あとは、自分も是枝監督のようにがんばりたい、大成したいという方もいらっしゃいますね。実際に茅ヶ崎館に来られてひと皮もふた皮もむけて有名になった方を見てきました。

-今でも脈々と歴史が紡がれていっているのですね。

森さん:これが大事なことなんです。町の活性のためには過去だけではだめで、過去を継承し今を走り続けないとただの過去の栄光で終わってしまいます。

-なるほど。たとえば小津監督が来られて終わりではなく、それから是枝監督が来て、これから未来を作っていく監督が来るように繋いでいく必要があるんですね。

 

■文化の意識を高く保つ

10周年を迎えた茅ヶ崎映画祭

-森さんは茅ヶ崎館以外でも活動をされていると聞きましたが、どのようなことをされているのですか?

森さん:2021年で10回目を迎えた「茅ヶ崎映画祭」をやっています。今年は「稲村ジェーン」を上映しました。これは私が10年間仕込んだ仕事でして、ようやく実現することができました。

「稲村ジェーン」は私の青春の作品で、サントラ(=サウンドトラック)がとにかくすごくて。そのサントラを聞いて映画館に行きました。ミュージック映画としても最高ですが、1990年の公開以降は公開されていません。当時の映画の保存はレーザーディスクとVHSテープでしたが、再販もされていないので、ずっと観られなかった人たちもいます。

そこから30年越しで茅ヶ崎映画祭で上映することができました。

-そこには森さんのどのような思いがあったのですか?

森さん:茅ヶ崎館にもストーリーがあるように、映画にもロケ地や俳優さんのストーリーがあるんです。いつか茅ヶ崎映画祭をやりたいと思っていましたし、それができたら「稲村ジェーン」は絶対に上映したいと思っていました。

-森さんにもすばらしいストーリーがありますね。お話をお聞きしていて、森さんもエンターテイナーなんだと感じていました。

森さん:そうかもしれないですね(笑)。
茅ヶ崎館の運営も茅ヶ崎映画祭もやっぱりやるからにはみなさんに喜んでいただきたいという思いがあります。

さらにもうひとつ、湘南庭園文化祭というのも17年行っています。

先ほどもお話しした箱根・湯河原から葉山・横須賀エリアでは毎年たくさんのお屋敷が壊されているのですが、湘南庭園文化祭ではその残されたお屋敷で文化祭を行うというものなのです。

-その文化祭にはどのような狙いがあるのですか?

森さん:実際にその建て物の中に入っていただいて、肌ですばらしさを感じていただくということですね。見るだけではなく実際に中に入ることで愛着が生まれますし、すばらしさにも気づくと思うんです。

そうして文化に対する意識をとにかく高く保ってほしいと思っていますし、そうしないと文化を守っていけないんですよ。

だから私たちは文化を残すための経済活動をしますし、みなさんは文化の意識を高く保っていく。これが町の魅力だと思っています。

-町の魅力は自分たちで作っていくものなんですね。本日はありがとうございました。

 

編集部のひとこと

ライター

せいくん

茅ヶ崎出身の著名人やアーティストがなぜ多いのか、森さんのお話をお聞きして納得することができました。
文化や流れの形成には必ず人がかかわっていて、文化の継承にも人がかかわっています。人が人を呼び、新たな時代が生まれ、それに感銘を受けた人が訪れ、また新たな時代を作っていく。

森さんがおっしゃっていたように、文化を絶やさないためには私たち個人個人が文化に対する意識を高くもち続けることがとても重要なんですね。

そして茅ヶ崎館では新たな試みとして、2021年4月29日に「茅ヶ崎館 珈琲サロン」を館内にオープンしました。

日常から離れ、茅ヶ崎館の雰囲気を味わってみてはいかがでしょうか?

編集部メンバー

編集長
かなさん

ふたりの子どもがいるワーママ。お酒が好き。とにかく声が大きい。

ライター
せいくん

家事全般、特に料理が得意な新人ライター。気も声も小さい。

ライター
ゆめちゃん

好奇心旺盛。食べ歩きや女子会が大好き。いつもTシャツ。

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