お出かけスポットインタビュー
- 「海と山に囲まれた城下町」として知られている小田原の魅力について小田原市観光協会の朝尾直也さんにインタビューをしてきました!
小田原市観光協会の朝尾直也さんと小田原城
「小田原」といえばみなさんは何を思い浮かべますか?小田原城、相模湾、小田原かまぼこなどなど観光スポットだけでなくご当地グルメも豊富なエリアですよね!
そんな日本の観光名所としても有名な小田原には、毎年国内外問わずたくさんの観光客が訪れているそうです。(※新型コロナウイルスが流行する前の統計)
今回は、海外からも注目を集めている小田原の魅力について、小田原市観光協会の朝尾さんにお話をうかがってきました。
小田原に忍者がいたって本当ですか??ぜひお楽しみください。
聞き手:たいせつじかん編集部
■民を豊かにし、国を豊かにする
小田原城の中でインタビューを受けていただきました
-日本の歴史を語るうえでも小田原城は外せないですよね!まずは、そんな小田原城の歴史から教えていただきたいです!
朝尾さん:小田原城は戦国大名である北条氏が5代約100年に渡って戦国時代の関東一円をおさめた際の拠点です。歴史的な年表で言うと、1495年に伊勢宗瑞(のちの北条早雲)が伊豆韮山から小田原に来たのが始まりと言われています。
北条氏は、「民を豊かにし、国を豊かにする」と、100年ものあいだ非常に民を大事にした戦国大名だったと言われています。
とはいっても戦国時代ですので危険も多く、1590年には圧倒的な兵力でこの小田原に攻めてきた豊臣秀吉に備え、小田原城とその城下を堀と土塁で囲う総構(そうがまえ)という秘策で応戦した歴史があります。
-総構は距離にするとどのくらいなのですか?
朝尾さん:約9kmです。合戦の結果は、約18万の大軍に小田原を包囲され、約100日にも及ぶ籠城戦のあと、小田原城を開城し、北条氏は滅亡しました。
-いや〜すごくおもしろいですね!歴史好きの私にとってはたまりません!では、それから江戸時代へと移っていくわけですか?
朝尾さん:そうですね。江戸時代になってから江戸から旅人や商人が往来して小田原が栄えていきます。小田原の名産である干物やかまぼこに梅干、寄木細工や小田原提灯なども有名ですよね。
また、宿場町としても栄えましたので名産や食べ物が全国に広まっていきました。
小田原城址公園内に咲く梅の花
-旅人が多く訪れ、宿場町として栄えたことが保存食などの加工食品を生むきっかけになったんでしょうね。干物なんかはまさにそうで、鮮度が命の魚を長い旅でももち運ぶことができるようになったわけですから。梅干も小田原から生まれたのですか?
朝尾さん:小田原が発祥かどうかは定かではありませんが、北条氏が梅干の薬効と食べ物の腐敗を防ぐ作用に注目し、梅の木を植え、梅干づくりを奨励しました。梅干も保存食として生まれたというのは間違いないですね。
■小田原にはおもてなし文化が根づいている
小田原の魅力を語る朝尾さん
-北条氏が奨励していたこともありますし、小田原には海も山もあるので、名産の幅が広いですよね。でも、やっぱり海の幸は有名ですよね。
朝尾さん:日本には3大深湾と呼ばれる湾があり、それは駿河湾、富山湾、そして相模湾なんですね。相模湾はすり鉢状になっていて、10km先は水深1,000mの深海です。
そこに小田原漁港があり、毎日水揚げがされています。日本では約4,000種類の魚がいるそうですが、そのうち相模湾では約1,600種類、小田原漁港では約60種類の魚が水揚げされています。
-半分近くが相模湾で水揚げされているんですね。
朝尾さん:そうなんです。また小田原漁港から船で近い場所に漁があるもの特徴です。
山も近く、森の養分が海に流れ込むことによって栄養たっぷりの魚が育ちますので、新鮮でおいしいんですよね。
-海だけではなく、山があることでよりおいしい魚を食べることができるんですね!
これだけ自然がある場所にもかかわらず、都心からのアクセスもいいですし、箱根に行く前に立ち寄られる方も多いのではないですか?
朝尾さん:とても多いです。都内からだと箱根の玄関口になっています。
-小田原に来たらぜひ見てほしい場所はありますか?
朝尾さん:たくさんあるのでしぼるのはなかなかむずかしいですね。
ただ、今コロナ禍で移住したり、移住を考えたりする人が増えてきたなかで小田原は、自然も多くて都心からも近く、たくさんの路線が通っているところが魅力のひとつだと思っています。そして何よりもこの小田原の独特な雰囲気を感じてほしいです。
白銀山や石垣山一夜城の景色
観光スポットもありますしグルメも多いのでもちろん旅行できていただくのもいいのですが、小田原の人たちはすごくエネルギッシュなので、表面的な部分だけではないところも肌で感じてもらいたいです。
-朝尾さんが小田原らしさを感じるのはどんなところですか?
朝尾さん:人と人との距離感が近いところですかね。誰にでもフレンドリーだと感じます。
-それは文化として根づいているものなのでしょうか?
朝尾さん:小田原は宿場町としても栄えた街ですから、さまざまな方々をもてなしてきた歴史がありますし、そのおもてなしの精神が今も街の文化として残っているんだと思います。
■目の前にあるできることからコツコツと!
-小田原の将来像を教えてください!
朝尾さん:将来的にはたくさんの方に訪れて、住みたいと思ってもらえるような街づくりをしていきたいと思います。
そのためには、小田原の魅力を発信していかないといけないですし、大変な状況ですが、今できることは何なのかを考え実行し積み重ねていくことが重要だと思っています。
小田原の偉人、二宮尊徳翁(二宮金次郎)が「積小為大」という言葉を残されましたが、まさにそのとおりでコツコツ積み上げていった先に大きな成果が得られると思っています。
開催中の「歴史リアル謎解きゲーム」
そこで、小田原市観光協会では新しい体験型のコンテンツを始めることにしました。
-そのコンテンツを詳しく教えていただきたいです。
朝尾さん:たとえば、⼩⽥原城と城下町をめぐり、観光も楽しめる謎解きイベントです。歴史上の人物が訪れた場所を舞台に、リアルに起こった歴史をもとに、謎を解いていく街歩き体験で、コロナ禍でも比較的密を避けることができ、気軽に楽しめる内容です。あとは座禅体験などですね。じつは小田原にはお寺が150以上もある寺町だということはあまり知られていません。
-そんなにあるんですか。それは知りませんでした!
朝尾さん:観光協会の主催ではないですが、北条家と由縁のあるお寺で行っているので、コロナ禍での不安やストレス、心身を整えたい方にはおすすめです。ほかには忍者のオンラインツアーも始めましたね。
-これは海外の方にも人気が出そうなコンテンツですね。小田原と忍者は何か関係があるのですか?
朝尾さん:じつは小田原にも忍者がいたと言われています。
-忍者といえば、伊賀国のイメージですが、小田原にもいた可能性があるんですね!
朝尾さん:そうなんです。小田原では風魔忍者と呼ばれる忍者がいたと言われていて、戦国時代、北条家にも一途に仕えていたとされています。
忍者のオンラインツアーはアメリカやイギリスなどからご予約をいただくなど、海外からの反響も多かったですね。
ただ、これはこのような状況になっていないとやっていなかったでしょうし、やってみてこんなに喜んでもらえるとも思っていませんでしたから、意外な発見が多かったです。
-これからもさまざまなコンテンツを作られると思いますが、情報はホームページに掲載されますか?
朝尾さん:はい、小田原市観光協会のホームページやSNSなどでも情報発信していきます。
-わかりました。これからも新たなコンテンツを楽しみにしています。今日はありがとうございました。
編集部のひとこと

ライター
ゆめちゃん
小田原ではなぜ名産が多いのか?おもてなしの精神はどこからきているのか?ということを今まで考えたことはありませんでしたが、朝尾さんに小田原の歴史をお聞きし、歴史が文化となって受け継がれてきておりすべてに理由があるんだと、納得が多いインタビューとなりました。
インタビューは小田原城内で受けていただき、インタビュー後には場内を案内していただきました。小田原城から見た景色はとても印象的で今でも忘れられません!
感染症対策をきちんととり、海も山も歴史もある小田原にぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか?
- 小田原市観光協会公式ホームページ:
- https://www.odawara-kankou.com/
- 歴史リアル謎解きゲーム(10月31日まで開催中):
- https://www.odawara-kankou.com/event/eventinfo/nazo.html
編集部メンバー
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ふたりの子どもがいるワーママ。お酒が好き。とにかく声が大きい。 |
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家事全般、特に料理が得意な新人ライター。気も声も小さい。 |
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好奇心旺盛。食べ歩きや女子会が大好き。いつもTシャツ。 |