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輝く男性インタビュー

愛川町でお酒づくりを始めて190年以上。生酛づくりの純米酒にこだわる大矢孝酒造・大矢俊介さんのインタビューです!

大矢孝酒造の8代目・大矢俊介さん

神奈川県愛川町にある蔵元の大矢孝酒造の8代目・大矢俊介さんに、お酒づくりで大切にしていることやお酒づくりをとおして実現していきたいことなどをうかがってきました。

やわらかい物腰でお話いただき、お酒づくりの奥深さや未来への新しい展望がわかるとても楽しいインタビューとなりました。ぜひ、お楽しみください。

 

聞き手:たいせつじかん編集部

 

■愛川町に住み始めて20代目

大矢孝酒造の歴史について話す大矢さん 

-まず、大矢孝酒造の歴史から教えていただきたいです。

大矢さん:大矢孝酒造の創業は、1830年なので文政13年になります。今年(2021年)で191年目の酒蔵で、お酒を造り始めてから私で8代目となります。

-とても歴史のある酒蔵なんですね!

大矢さん:そうですね。酒蔵としては8代目なんですが、この地に住み始めてからですと20代目なんです。

-どういうことでしょうか?さらに歴史が深くなるということですよね?

大矢さん:そうなんです。初代は、小田原城の北条氏康の騎馬隊の隊長だったそうです。そして、武田信玄と北条氏康が戦国時代最大の山岳戦の「三増合戦(みませかっせん)」を戦ったときに小田原に帰らずに、ここに住み始めたようです。それが、1569年なので織田信長が現役の時代です。

-織田信長が現役のころという言葉をそのままの意味で初めて聞きましたし、口にしました!(笑)
三増合戦は、この近くなんですか?

大矢さん:そうです。ここから近い山手の方ですね。

当時のエピソードとして、入り口に大きなけやきが2本ありますが、このけやきは住み始めるときに屋敷の周りに植えたと言われています。

今は2本しか残っていませんが、太平洋戦争時に入り口の2本以外はすべて伐採して、日本軍に供出した歴史があります。

子どものころは大きい切り株がありましたけど、さすがに戦後70年も越えると、跡形もなく消え去ってしまいました。

初代が植えたけやきの木

初代から考えるとさまざまな商売をしてきたわけですが、私から8代前が神奈川県の大磯町の醸造家から酒造株を譲渡してもらい1830年に酒造を始めました。

-もうひとつお聞きしたいのですが、お酒の名前が「残草蓬莱(ざるそうほうらい) 」であるとお聞きしたのですが、「残草」を「ざるそう」と読むのには理由があるのですか?

大矢さん:本来であれば、「ざんそう」と読みますが、なまって「ざるそう」になりました。また、「残草」はもともと地名です。住所に載らない小字(こあざ)と呼ばれる地名からきています。それが屋号になり、今でもそう呼ばれております。

 

■生酛づくりにこだわる理由

大矢孝酒造で造られたお酒

-では、こちらで造られているお酒の特徴やこだわりなどを教えてください。

大矢さん:うちでは、純米酒というお米と米麴を原料とするお酒しか造っていません。

そして、そのなかでもお酒づくりに必要なアルコールを出すための酵母を培養する方法がいくつかあるのですが、うちで取り組んでいるのは一般的な速醸(そくじょう)と生酛づくり(きもとづくり)という明治以前から続いている伝統的な製法です。

生酛づくりは、速醸に比べると2倍以上の時間がかかり、とても手間暇がかかる培養法なのですが、うちではこれを選択しています。

-生酛づくりのお酒というのはめずらしいものなのでしょうか?

大矢さん:そうですね。全国に約1,300軒の酒蔵があるなかで、純米酒しか造っていない酒蔵は1割もありません。さらに、そこから生酛づくりをしている酒蔵は半分以下ですから、今日本に流通しているお酒のうち、生酛づくりのお酒は1%しかないと言われています。そのため、かなり貴重なお酒だと言っていいと思います。

-そうなんですね!このようなお話をお聞きして、効率化という考え方からは真逆の発想かと思いますが、生酛づくりを続けていらっしゃる理由は何ですか?

大矢さん:そうですよね。当然、効率的に造った方がいいという考え方もあります。それももちろんわかりますが、今のままではよくないということもわかっているんですよね。

具体的に言うと、今のお酒づくりの主流は、醸造アルコールという副原材料を使用したものです。おそらく、全体の7割近くは醸造アルコールを使ったものです。

この製法にすると、作り手側の作業効率もコストパフォーマンスも大きく改善します。そうなると当然、お客さまにも安くお酒を提供できるようになります。

しかし、この製法はお米の使用量が大きく減ります。そうなると、酒蔵が農家さんから購入するお米の量が減るということになります。ただでさえ、お米自体の消費量が減っているのに加工するために消費されていたお米まで減ってしまったら本当にお米を作る農家さんがいなくなってしまいますよね。

-なるほど!米加工業者として酒蔵の機能を維持したいというお考えもあるわけですね。

大矢さん:そうです。実際に、お酒づくりに醸造アルコールを使うことが認められたのは太平洋戦争が始まってからです。背景には、戦中の米不足や、戦地への供給ニーズの拡大などがありましたから、その制度は当時の時代にのっとったいいものであったと思います。

でも、今は米が余っているわけですからね。当時とは状況が違います。さらに、このままでは生酛づくりを行える杜氏や蔵人が減ってしまいますから、こういう危機感に対して微力ながら貢献できればと思い、生酛づくりの純米酒にこだわりをもっています。

酒蔵の内観

-生酛づくりのお酒は、どのような味や風合いになるのですか?

大矢さん:奥深い味わいで、熟成したときのまろやかさは生酛づくりにしか出せないです。

しかし、それにもしっかりと理由があります。速醸づくりは、酵母が増殖しやすい環境を作って、酵母を増やしていくんです。ですから、いうなれば温室育ちの酵母なんですね。

いっぽう、生酛づくりというのは、最初からクリーンな環境ではなくて、不安定な環境下で作られる酵母ですので、生命力が違うんですよね。

-昔の人は、酵母が育ちやすい環境を作ることはできなかったために生酛づくりをするしかなかった、ということもありますよね。

大矢さん:そうなんですよね。今みたいに研究も進んでいなければ、機械もありませんからね。でも、これでしか表現できない味わいがありますから、これからも続けていきたいですし、単純におもしろいですよね。

そして、なによりお客さまが飲んだ瞬間に「大矢が造ったお酒なんだ」と、わかっていただきたいと思いますから、そこにはやはり、生酛づくりでこそ表現される個性のある味わいというものが大切だなと思います。

 

■愛川町を盛り上げていきたい

-最後に、今後のビジョンについてお聞かせください。

大矢さん:まず、この先5年のビジョンとしては、愛川町観光協会の副会長をやっているので地域の活性化に繋がるような活動をしていきたいと考えています。

愛川町も高齢化が進み、現在は酒屋さんが3軒しかありません。仮にこの酒屋さんがお店を閉じてしまったら愛川で造ったお酒なのに愛川で買えないということにもなりかねません。

でも、愛川町は東京からも近く、とにかく自然が豊富です。実際に50年近く前には、年間に100万人が訪れる観光地であったわけですから必ず何かやれるはずだと思っています。

-では、お酒づくりにおいてはどのようにお考えですか?

大矢さん:酒蔵とはこうあるべきだという考え方において、守るべきものと変えた方がいいものをしっかりと世の中の流れをみて判断していくことが大切だと思います。

こだわりの味わいが世間の需要と乖離していたら意味がありませんからね。

そもそも、私が8代目を継いだときも、父が突然倒れてしまったので、やらざるを得なくなったという感じでした。でも、そのまま続けていくうちにおもしろくなり今に至っていますから、肩に力を入れすぎずにお酒づくりを続けてきたいですね。

-今日はありがとうございました!

 

編集部のひとこと

ライター

ゆめちゃん

大矢さんは、守るべきことと変えるべきことを明確にして、変えた方がいいものはすぐ変えるのだとおっしゃいました。でも、機械を導入するにも自分がその機械を使いこなせるようにすることが大切だよというお話がとても印象的でした。

全工程を理解しているなかで、効率化しても理想に妥協しないのであれば変えるのだという姿勢がいっかんしていて、とても強い思いを感じるインタビューとなりました。

編集部メンバー

編集長
かなさん

ふたりの子どもがいるワーママ。お酒が好き。とにかく声が大きい。

ライター
せいくん

家事全般、特に料理が得意な新人ライター。気も声も小さい。

ライター
ゆめちゃん

好奇心旺盛。食べ歩きや女子会が大好き。いつもTシャツ。

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