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輝く女性インタビュー

度重なる苦難から3年で業績をV字回復させる!今年で創業103年となる株式会社陣屋の代表取締役 女将 宮﨑知子(みやざきともこ)さんインタビュー

陣屋の4代目女将 宮﨑智子さん

今年4月で創業103年を迎える鶴巻温泉陣屋ですが、これまでの道のりは決して楽なものではありませんでした。

時代とともにライフスタイルが変化し、さらにリーマンショックにより業績は悪化。いちじは事業の売却も検討されたそうです。

しかし、100年以上も続くこの陣屋を守っていくことを決意し、先代から家業を受け継いだ宮﨑さんご夫妻は独自のITツールの開発などで見事に業績をV字回復させ、現在は旅館業全体の復興をめざし日々取り組まれています。

業績をV字回復させるために、問題を見つけ、改善案を出し、問題解決を実現するためにはどうすればいいのか、ということを何度も繰り返したと語る4代目女将の宮﨑知子さん。

これからも家業を守っていきたいという思いがあふれる熱いインタビューです!ぜひ、お楽しみください。

 

聞き手:たいせつじかん編集部

 

■苦境に立たされた旅館業界

-まず、100年以上も続く陣屋の歴史について教えてください!

宮﨑さん:創業は大正7年(1918年)4月ですので、今年の4月で丸103年になります。

開業当時、三井財閥さんが上客のお客さまをおもてなしする館が欲しいとこの界隈で探されていました。

ちょうど鶴巻は温泉が湧きますので、「この地に館を」ということになったのですが、大磯に黒田藩の邸宅があり、それがとてもすばらしいということで、そのひと部屋を和田義盛邸跡地に移築して開業に至ったというのがここの始まりです。

-もともとはお宿ではなく、邸宅だったんですね。

宮﨑さん:そうですね。そのあと間もなくして独立し、当初は遠い縁戚の親類が営んでおりました。

そして、戦後あたりに祖父が体調を悪くして養生のためにここに身を寄せたときにあと継ぎがいらっしゃらないことをお聞きして、こちらを買い取ったそうです。

祖父も自身で会社を経営しておりましたので、そこのお客さまをお迎えし、祖母がおもてなしをするというかたちでここを「陣屋」と再定義し、リニューアルオープンさせたという背景があります。

-では、「陣屋」としてスタートしたのは戦後になるんですね。

宮﨑さん:はい。それまでは、「平塚園」というお名前だったそうです。ですので、祖母を陣屋の初代として数えると、私と主人で4代目になります。

-それでもまだ4代目なんですね。この界隈は昔から旅館などの宿が多かったのですか?

宮﨑さん:30年ほど前までは16〜17軒くらいお宿があり、昭和初期には小田急線が開通しましたので、ここは奥座敷のような感じでかなり賑わっていたそうです。

ただ、この30年でいっきに衰退し、お宿はかなり閉められています。

-それにはさまざまな理由があると思うのですが、都心からも近く当時は奥座敷として名をはせていた鶴巻温泉街が、なぜ衰退してしまったのですか?

宮﨑さん:都心から近いということが、かえってベッドタウンとしての需要を高めてしまったということが考えられます。

民法的にもここは商業エリアとなっておりますので、お宿の跡地に住居が建てられることが多く、最近では高層マンションや介護施設が建てられています。お宿の跡地なのでまとまった土地が空きますからね。

-都心から近いがゆえに住宅街として発展してしまったんですね。当然、陣屋さんもその影響を受けましたよね?

宮﨑さん:とても受けたようですね。時代とともにワークスタイルやライフスタイルも変化していきますし、世の中では団体旅行から個人旅行へとシフトチェンジしていきましたので、そういう変化が業績に大きく影響を与えていきました。

-時代の変化に対応していくことはかなりむずかしいですよね。そのころは何代目の方だったのですか?

宮﨑さん:そのころは祖母から叔母にバトンタッチされていて、2代目が長らく女将業をさせていただいていました。

-それからどのような経緯があって宮﨑さんご夫婦が継がれることになったのですか?

宮﨑さん:2代目の叔母が体調を崩しまして弟の嫁である義母にバトンタッチされたのですが、義母も3年くらいで体調を崩してしまったんですね。

業績を回復させるため義母も何かを変えなきゃいけないともがいていたのですが、結局自身も体調を崩してしまい経営者不在の状態になりました。

義母は売却を考えていたようですが、M&Aの交渉の場に出向くこともからだに負担がかかるということで、長男である主人に付き添いをしてほしいと私に声がかかりそこから話が始まりました。

-おふたりはこれまで経営に関与されていたのですか?

宮﨑さん:いえ、いっさい関与していませんでした。

主人はホンダの燃料開発チームのエンジニアをしておりましたし、私も東芝のグループ会社に勤めていましたから。

それで私が切迫早産になり会社を退職して入院していたのですが、義母がお見舞いに来てくれたときに、想定外のリーマンショックが起こり陣屋が予期せぬ状態になっていると相談を受けました。

そこでいろいろ事情を聞き、まずは私の方でその話をあずからせていただきました。

ご主人とおふたりで陣屋を継ぐことを決意する

-では、宮﨑さんが間に入りご主人へお話しされたんですね。

宮﨑さん:そうですね。ちょうどそのころ私もリスクが高い妊婦でしたので都内にある実家に帰っていましたから、実家から主人に電話をかけ、2時間くらい話しましたかね。

結果的にやろうかという話でまとまりましたが、最初は怒っているだろうなという感じでしたね(笑)。それが2009年の終わりころでした。

-まったく経営にかかわっておらず、さらには経営状況もあまりよろしくなかったわけですよね。家業だからとはいえ相当の覚悟が必要だったかと思いますが、ご主人はよく継ぐことを決心されましたね。やっぱり家業を守っていきたいという思いがあったんでしょうか?

宮﨑さん:そこはアイデンティティでしょうね。経営にかかわっていないとはいえ、ずっといっしょに育ってきたわけですから。やっぱり代々受け継がれてきた大事な家業だということもありますし、守らないといけないと思ったんじゃないでしょうか。

-すばらしい。感動するお話ですね。

 

■問題解決にはITの導入が必須だった!?

ゆったりとした空間のフロント

-おふたりが受け継がれて、まず手をつけられたことはどんなことだったんですか?

宮﨑さん:まずは状況把握ですね。私たちが状況をきちんと理解できていない状態で口を出しても現場が混乱してしまうので、約1カ月間黙って現場を見ていました。

-その1カ月間でどんなことが見えてきたましたか?

宮﨑さん:まず1点目は、集客面でホームページを刷新すること。

2点目は従業員同士の情報共有方法の見直し、そして3点目が従業員のマルチタスク化です。

1点目のホームページの刷新については現代に合うように作り直せばいいのでそこまで大きな問題ではありませんでしたが、2点目の情報共有の方法と3点目のマルチタスク化という点が大きな問題でした。

-情報共有の方法というところで、現場ではどのような問題が起こっていたのでしょうか?

宮﨑さん:まず、お客さまと直接接客するメンバーは大きくわけてふたつでフロント側と客室側です。その両者間のお客さまの情報共有の方法が廊下に設置された内線電話だったんですね。

フロントからすると今すぐ伝えたいことがあって連絡を取りたい、けれど客室側は接客中だと電話を取れないじゃないですか。そこでスムーズに情報共有ができないという問題が起こっていました。

電話も数秒かけて出なければいったん切って折り返しがくるのを待てばいいものの、従業員も諦めずに電話に出るまでかけ続けているんですよね。

そうすると着信音が館内に鳴り続けてお客さまの迷惑になるだけでなく、電話に出る出ないで従業員にもイライラがつのりますし、結局フロントから現地に伝えにいくのでとても非効率でした。

これは従業員の心にも良くないですし、そもそもお客さまをお迎えする心構えとしても良くないので、電話以外のものでかつ瞬時に全体に情報共有できるツールを考えないといけないと思いました。

これはまずいと思うことが多かったと語る

-なるほど、スムーズに全体共有できる方法が必須だったんですね。では、マルチタスク化についてはどうですか?

宮﨑さん:これまで単体タスクで働くことが多かったので、何か手伝いたくても自分の業務範囲外のヘルプとなると邪魔になってしまうのではないかと考え、次第に手伝いに行かなくなってしまうということがありました。

さらに、業務ごとで動くので必然的に派閥もできてしまっていました。

これは一人ひとりの業務範囲を増やすことができればヘルプにもいけるでしょうし、このグラデーションをどのように作っていくべきか考える必要がありました。

-それらの解決方法がITツールの開発だったのでしょうか?

宮﨑さん:もちろん地道な作業から始めることもありましたが、ITツールの開発は大きかったですね。

どこかで情報が滞ってしまうと情報が共有されず、それが末端にいけばいくほど指示待ちの状態ができてしまいます。そうすると事前準備もできにくくイレギュラーにも対応しづらいですし、効率よく業務が流れていきません。なので、このしくみを変えるためにITツールが必要だなと主人と話していましたね。

-これまで先代の方も問題解決のためにいろいろ施策を考えたのだろうと思うのですが、そこでITツールの導入が必要だと気づき、さらに自分たちで作るという発想に至ったのがすごいですよね!

宮﨑さん:大きなホテルではホテルシステムというものがあるようなのですが、それは泊食分離がされているシティーホテル向けに作られていて、私たちのような宿泊と食事がセットになっている旅館ではそのシステムとの相性が良くなかったんです。

私たち向けにカスタマイズするにしても数千万円じゃ足らないでしょうから費用的にもそれは現実的ではありませんでした。

それに顧客情報は企業にとっての財産ですし、どうしても私たちの管理下におきたかったので、手段を模索していたら主人がクラウドだったらいいのではと気づきまして。

-ご主人、さすがですね!

宮﨑さん:だったら独自で専用のアプリケーションを開発し、プラットフォームはセールスフォースさんのものを利用させていただこうと考え、アプリケーション開発のためにシステムエンジニアを採用し、セールスフォースさんと契約しました。

そのアプリケーションが「陣屋コネクト」です。

-すごいなぁ。問題解決のアイデアもすごいのですが、当初からIT化によって問題を解決していこうとある程度イメージされていたのですか?

宮﨑さん:それはおもに主人が考えていたのですが、ホンダから陣屋に来たときに100年くらい前にタイムスリップしたようだと驚愕していたんです。

-これじゃダメだとご主人も感じられたんでしょうね。では、陣屋コネクトが業績回復に繋がったのでしょうか?

宮﨑さん:それも大きな要因だったとは思いますが、それに加えて価格を引き上げたことも大きな要因のひとつです。

リーマンショック直後だったということもあり、世の中では安価にしないと売れないという風潮がありました。

そうすると受け入れ体制は変わらず忙しいのに、業績は改善しないという負のスパイラルに陥ってしまうので、逆に価格を引き上げ、料理だったら工夫と努力で付加価値をつけることができ大きな投資もせずに改善できると考え、当時の料理長とメニューの改変に注力しました。

お庭にある大きな「陣屋のトトロの木」とは

-なんだか小説を聞いているようなとてもおもしろいストーリーですね。

宮﨑さん:そうして毎月違うメニューをリリースするということを約3年半繰り返して続けていると、お客さまからもいい反応を得られるようになりましたし、従業員も自信をもってサービスできるようになりました。

-ハード面だけでなく、ソフト面でもいい環境ができあがっていったんですね。業績が回復してきたと感じたのはいつごろだったのでしょうか?

宮﨑さん:2012年の決算で黒字化したので、入社してから約3年ですね。

-たった3年でV字回復。旅館経営の経験がないとは思えないですね。

 

■「里山文化圏構想」で旅館業界の復興をめざす

-独自で開発された「陣屋コネクト」のすぐれている部分はどういうところなのでしょうか?

宮﨑さん:大きな特徴は、予約、顧客、設備、勤怠、会計の一元管理ができて、さらに売上経営分析、社内SNSの旅館運営に必要な機能が陣屋コネクトひとつですべてカバーできるということです。

従業員同士の情報共有はイヤホンでの音声連絡もできますが、聞き逃す可能性もあるので、音声認識アプリケーションと連動させて話したことが文字として記録に残るようになっています。

なので、聞き逃しがあったとしてもあとでスマートフォンからチェックすることが可能になりました。

-本当にこれひとつですべての業務が効率化されそうですね!これだけ歴史のある旅館ですので、内装の手入れも結構されているんですか?

 

独自で開発した陣屋コネクト

宮﨑さん:毎年少しずつやっていて、10年前にやりたいと思っていたものが昨年のリニューアルでようやく完工しました。

-やっと完工したんですね!では最後に、内装も10年前にイメージしていた形になり、内部で起こっていた問題も改善され、着実に理想の形に近づいてきていると思うのですが、これから先はどのようにしていきたいとお考えですか?

宮﨑さん:OTA(オンライントラベルエージェント)からの流入がないエリアへの旅行客を増やしていきたいと考えています。

-OTAって何ですか?

宮﨑さん:OTAとは、じゃらんさんや一休さんのような旅行サイトです。みなさんが旅行先を考えるとき、エリアで考えることが多いと思います。

たとえば神奈川県だと「横浜・みなとみらい」、「湘南・鎌倉」、「箱根・湯河原」、「その他」のように括られていて、OTAから「その他」のエリアに流入することはほとんどありません。

私たちのエリアも「その他」の括りなのですが、流入がないとOTAに参画していても意味がありません。そういうお宿さんたちは自社サイトなどで集客するしかないんですよね。ですが、それがむずかしい。

私たちもこの10年間、お客さまの旅の目的を陣屋に設定していただけるように邁進してきましたが、コロナ禍により私たちのようなエリアのお宿さんたちが軒並み沈み始めてきているという現状があります。

たとえ私たちがありがたいことに好調を維持することが叶ったとしても、有名観光地外である我々のエリア自体が沈んでは先々の未来がないので、「里山文化圏構想」というものを作って再定義を行い、「その他」のエリアではなく、「丹沢・大山エリア」をブランディング化して、そのエリアならではの里山文化をコンセプトとしたツアーを計画する。

それが集客に繋がり各エリアで実施できれば、旅館業界全体の復興にもつながると考えております。

そして、先日グループ会社の陣屋コネクト内にて旅行業の資格を取得し「里山トラベル.com」が立ち上がりました。

-すごくおもしろそうですね〜!

宮﨑さん:これはただの旅行サイトではなく、ローカルエージェントとして集客の部分やデジタルマーケティングの部分も私たちがお引き受けするので、私たち同じような問題を抱えていらっしゃるお宿さんのお役に立てるのではないかと考えています。

コロナ禍で世の中も大きく変わりましたので、少しずつですが興味を示してくださる方が増えてきました。

なので、まずは事例を作ってそれを全国に広めていき、旅館業界の復興と発展に繋がればいいなと思います。

-今はとても大変な時期ですが、旅館業界にもきっと明るい未来があると信じています!「里山文化圏構想」もとても楽しみです!本日はありがとうございました。

 

編集部のひとこと

ライター

せいくん

長い歴史があればあるほどこれまでやってこられたことを変えることはむずかしく、決断にもとても勇気がいることだと思います。

しかし、家業を守るため時代の変化に対応していくことを決め、IT化を取り入れ見事3年で業績を回復させたその行動力や決断力に驚かされるばかりでした。
とてもむずかしい状況にあったにもかかわらず、宮﨑さんのお話をお聞きしていると、絶対に変えられると信じる強い意思や信念があったのだろうと感じられました。

宮﨑さんがおすすめしたいポイントはどこですか?という質問に対して、100年間陣屋を守ってきたこの森を感じてほしいと宮﨑さんはおっしゃっていました。

確かに、館内に1歩足を踏み入れた先に広がる景色が感動的で今でも忘れられません。

そして、お庭にあるトトロの木についてお聞きすると、親戚関係のある宮崎駿さんが小さいころよく登っていた楠の木だったそうです。
宮崎駿さんの作品を見たことがある方は、陣屋の風景を懐かしく感じるかもしれません。

心身ともにリラックスできる空間が広がっている陣屋にぜひ足を運んでみてください。

編集部メンバー

編集長
かなさん

ふたりの子どもがいるワーママ。お酒が好き。とにかく声が大きい。

ライター
せいくん

家事全般、特に料理が得意な新人ライター。気も声も小さい。

ライター
ゆめちゃん

好奇心旺盛。食べ歩きや女子会が大好き。いつもTシャツ。

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