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輝く男性インタビュー

心からやりたいと思えることをやっていこう!陶芸家 井上昌久(いのうえよしひさ)さんの情熱インタビュー

真鶴に住む陶芸家の井上昌久さん

陶芸家 井上昌久さん

相模湾が一望できる真鶴半島の高台にある井上さんのアトリエ「風籟窯」。井上さんは、このアトリエで陶芸に没頭する毎日を過ごしているといいます。小さいころから、自分のやりたいことばかりやってきたという井上さんのお話は、自分の気持ちに正直になることはむずかしいことではなく、素直に耳を傾けてみるだけでいいのだと教えてくれました。

50歳を過ぎてから、陶芸と出会い、毎日陶芸に没頭する日々を心から幸せだと語る井上さんの希望と情熱に満ち溢れたインタビューをお楽しみください!

 

聞き手:たいせつじかん編集部

 

■絵を描き続けるためにはどうすればいいかを考えた

学生時代の話をする井上さん

-井上さんは、中学校で美術の先生をされていたということですが、もともと美術がお好きだったのですか?

井上さん:小さいころから、とにかく絵を描くことが好きでしたね。どっちかというとモノを作るよりも絵を描くことが好きだったんです。

周りから、「上手だ、上手だ」と言われるものだから、自分は絵がうまいのだと思ってもいましたね。

-なるほど、だから美術の先生になったんですね!

井上さん:いやいや、違います。ずっと野球選手になりたかったですね(笑)。当時は、長嶋茂雄がデビューしたころで。男子はみんな野球に夢中になりました。

絵を描くことと同じくらい、からだを動かすことが好きだったんですね。だから、野球だけでなくて、サッカー、陸上などいろいろなスポーツをやりました。

-そうなんですね!なんでもやりたい少年だったんですね。

井上さん:そうですね。スポーツの大会に出ても、スケッチブックを持って行って、試合の合間に絵を描いたりしていましたからね。私は群馬の生まれなんですが、前橋の競技場での大会であれば、合間に赤城山を描いたりしましたよ。

-興味の赴くままに行動される少年だったんですね。では、その井上少年がなぜ美術の先生を志すことになったのですか?

井上さん:実際は、美術の先生をめざしてなったわけではないんです。むしろ、学校の先生にはなるまいと思っていたくらいでしたよね。

-そういわれるとより「なぜ、美術の先生になったのか」が気になりますね。

井上さん:やりたいことを続けながら生きていくにはどうすればいいかを考えた結果なんです。

大学生のころは、やりたいことをするためにアルバイト漬けの生活をしていました。お金をためては、ヒッチハイクで行きたいところへ行って、絵を描いたり本を読んだり、登山をしたりという生活だったんです。

大学を卒業したあとも、アルバイト生活を続けていこうと考えていたんですが、この生活を続けていくと、生活費を稼ぐために働く時間が多くなって、絵を描く時間がなくなると思ったのです。

では、何をしようと考えたときに、夏休みも冬休みもある学校の先生になるのがいいのではないかと考えたんです。当時は、学校の先生が足りない時代でしたし、今のように教員採用が狭き門ではありませんでしたからね(笑)。

-なるほど!そして、採用試験に合格して美術の先生になられたんですね。

井上さん:そうですね。でも、スタートもいろいろあったんですよね。

本当は鎌倉の学校の先生になりたかったんですよ。出身の館林市は、周りに海も山もない平地だったから起伏にとんだ町に住みたいとずっと思っていたので、鎌倉あたりがいいなと思ったわけです。

それで、どうにかこうにか採用試験は受かったけど鎌倉エリアの中学校の美術の先生は埋まっているから、小学校の先生を1年やってほしいと言われたんですよね。

でも、小学校の先生は、ピアノやオルガンができるようにならなくちゃいけないと言われてね。それだと、絵を描く時間にピアノの練習をしなければいけなくなるからということで断りました。

―えっ、なんで!

井上さん:だって、メインは絵を描くことだからその時間を奪われるようでは意味がないからですよね。

-ぶれないですねぇ。私なら少しくらいはがまんしてやると思いますね。

井上さん:若かったし、生意気だったと思いますよ。絵を描いているやつがいちばん偉いんだと思っていましたからね。だから、断ってしまってアルバイトしながら鎌倉に行ってくらすことにしたんです。

それがね、卒業式の前日に徹夜で麻雀をして下宿に帰ってきたら「今日中に小田原の教育委員会に来るように」という手紙が鍵穴に入っていたんです。

そのまま、電車に乗って小田原の教育委員会に行ったら、「あなたは真鶴になっている」ということで、初めて真鶴に来たんです。

アトリエから見える相模湾

-そこで真鶴との接点ができるんですね。

井上さん:そうですね。駅に降り立った瞬間から、すごく良い場所だと感じたんです。電車から見える景色がすばらしかったし、駅を降りたらすぐに潮の香りがしてね。

そのまま、真鶴港を見に行ったらその景色もすばらしいじゃないですか。だから、もうここしかないと思って、真鶴中学校で働かせてもらうことになったんです。

-出会いがとてもドラマチックですね。

井上さん:そうですかね。そのあとは、湯河原とか国府津などに赴任をしましたけど、真鶴に家を建てて住むようになりましたね。

今でも真鶴に住んでいるんだから、真鶴は私にとって最高の場所だったんですよね。

 

■陶芸との出会いは予期せぬ形で

陶芸との出会いを話す井上さん

陶芸との出会いを話す井上さん

-でも、それほどまでに絵を描くことを人生の目的として置いていらっしゃったのになぜ今は陶芸なんですか?

井上さん:そうですね。まず、陶芸との出会いについてですが、最後の赴任先として箱根の仙石原の中学校を選んだんです。

希望として教員生活の最後は、田舎の小さい学校で美術を教えることに集中したいと思ったんです。

それがかなって仙石原の中学校に行くわけですが、そこの美術のカリキュラムに陶芸を入れなければならいということだったんです。

それが、陶芸との出会いです。

-予期せぬ出会いだったんですね!

井上さん:予期せぬというか、正直言って迷惑だなと思ったよね。赴任前に、カリキュラムを作りこんでいたんです。自分のやりたい美術の授業をして、絵も好きなだけ描こうと思っていたんですからね。

-じゃあ、いやいやだったんですね。

井上さん:そうなんですよ!(笑)でも、講師がすばらしい方で、最初にろくろを回したときに「俺にもろくろを挽けるぞ」と思わせてくれたんです。初日で、できるという感覚をつかんでしまったので、いっきにはまってしまったんです。

それから3カ月は、仕事が終わったら、美術室でひたすらろくろを挽いてましたよ。そのあとは、自分でろくろも電気窯も買って、家でもやるようになったんですよね。

-すごいはまりようですね!

井上さん:そうなんですよね。陶芸との出会いは50歳のときなんですが、そのときまで何かを作りたいという気持ちはずっと持っていたんだろう思うんです。

でもね、やりたいことをやっているつもりの生活でしたがどうしても仕事を優先したりとか生徒との時間を優先したりとかでやり切れていなかったんでしょうね。

そのはけ口として、陶芸がぴったりだったんだろうと思います。

それから、もう本気で陶芸をやってみようと思って、絵をきっぱりと捨てました。捨てるべきだと思いました。結果として、絵を続けてきたけれど絵ではものになれなかったんですよね。言い訳をしようと思えばできますが、でもすばらしい絵を描ければどんな環境であっても世に出るんです。

それを決心してから、陶芸をイチから勉強してみようと思いました。

井上さんの作品が陳列されている

井上さんの作品

 -なるほど、それまで打ち込んできた絵を捨ててでも打ち込みたいと思えるものを、50歳で見つけることができたというお話はとても希望のあるお話ですね!

井上さん:そうですね。よかったですね。

そこからは仙石原の民宿に薪窯を手づくりした人を紹介してもらい、窯焚きの手伝いをしながら徐々に自分の作品も焼いてもらえるようになっていったんだけど、だんだん自分の窯が欲しくなってきたんだよね。

-電気窯をお持ちなんですよね?

井上さん:電気窯は釉薬をかけて入れておけば黙ってでもできちゃうんだよね。だからすぐ飽きちゃったんです。

私はなんにも手を加えていない粘土から焼き上がっていく自然釉の過程がすごくおもしろいなと思っていたので、松薪で焚く窯、穴窯が欲しいと思ったんですね。

それで全国の窯場を見て歩きながら薪窯(穴窯)を作るだけの広い土地を地元で探していました。

そうこうしているうちに、このアトリエの土地が売りに出ているということで、見に来たら広さも申し分ないし、海も見えるしここ以外にないだろうなと考えて、退職金で購入しました。

-えっ、土地を購入するために退職したんじゃないですよね?

井上さん:いえいえ、タイミングが重なっただけです。退職したのは54歳のときだったのですが、それまでずっと生徒といっしょになって走ったり、運動したりしていたんですが、あるとき生徒に「おじいちゃん無理しなくていいから」と言われたんです。

その生徒は、悪気なくおじいちゃんと言ったんだろうと思いますが、そのときはじめて「そういう歳になったんだな」と思いました。

でもそれをきっかけに、1度安定した生活を捨てて、自分のためだけに時間を使える生活をしてみようと思いました。

-不安はなかったですか?

井上さん:なかったですね。もともとは明日をも知らぬ生き方でいこうと思っていたわけだから、もとに戻っただけという感じでしたし、やりたいことが目一杯ありましたらね。

それに、食えなくなっても大丈夫なように窯よりも先に畑を作りましたよ。

-やっぱり50歳を過ぎても寝食を忘れるほど没頭できるものが見つかるというのはすてきな話だし、とても希望のある話ですね。

 

■やりたいと思ったら早く動き出す

井上さんが作られた薪窯(穴窯)の様子

自作の薪窯(穴窯)の様子

-井上さんの今後について教えてください。

井上さん:これからもずっと変わらずに窯焚きをして、作品を作り続けたいですね。窯焚きは体力勝負だから今は年に1回しかできないのですが、死ぬまで続けていようと思っています。

半分冗談ではありますが、窯の前で死ねたらいいなと思いますよね。

-では、そこまでのめり込む陶芸の魅力ってなんですか?

井上さん:なんだろうね…。

陶芸家は、生活の中心に窯を焚くというのがあり、それに合わせて生活を組み立てます。

そこを基本において生活するから、いつまでに薪を割るか、いつまでに作品を作るかを考えて生活をします。そのすべてを自分の力だけで進めていくんですが、同時にさまざまな人との広交流があり、助けがあったと気づきます。

そういう一つひとつがおもしろくて私と相性が良かったんだろうと思います。

-でも、少し逆説的になりますが、やりたいことをやるって意外とむずかしいですよね。

井上さん:そうかもしれませんね。この間も、ふらっと寄ってくれた女性のお客さんが、やりたいことをやるか考え中だって言っていたんです。

でも考え中って言っているうちにできなくなってしまうかもしれないですよね。人間は病気にもなるし、それこそ死んでしまうかもしれない。

だから、ほんとにそれをやりたいかどうかっていうのもそこでしっかり考えて、やりたいんだってなったら早く動き出したほうがいいっていうのは間違いないです。

-このアトリエで井上さんのお話を聞くととても前向きな気持ちになります!今日はありがとうございました!

 

編集部のひとこと

ライター

ゆめちゃん

井上さんとお話をしていると時間を忘れて話し込んでしまいます。
相模湾が一望できるアトリエで「自分のやりたいことをやれ、周りの目を気にしている時間はないぞ」というメッセージが、やさしく胸に響きました。

やりたいことをできずに悩んでいる方は、井上さんのアトリエへ行かれてみてはいかがでしょうか?

おいしいコーヒーを飲みながらお話を聞いてみることをおすすめします!

編集部メンバー

編集長
かなさん

ふたりの子どもがいるワーママ。お酒が好き。とにかく声が大きい。

ライター
せいくん

家事全般、特に料理が得意な新人ライター。気も声も小さい。

ライター
ゆめちゃん

好奇心旺盛。食べ歩きや女子会が大好き。いつもTシャツ。

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