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輝く男性インタビュー

「地方活性化にはヨソモノとジモトの相互理解が必要」。真鶴で地方進出のサポート事業を始めた山下拓未(やましたたくみ)さんインタビュー

 

真鶴の岩地域で、コワーキングスペースやワーケーション用の施設、さらに地元の方と利用者が地域交流を体験する場としてRockin’ Villageをオープンさせた山下拓未さん。

ご自身の経験から、都会で働く人たちがオフィスから解放され「田舎や地方」でも仕事ができる選択肢をもてるしくみづくりを行ってきました。そのなかでいつも気になっていた事が、地域へ訪れる「ヨソモノ」と受け入れる側の「ジモト」とのトラブルだったそうです。地方活性化が社会課題として大きく横たわる今、新しくオリジナルな方法でこの課題の解決に取り組もうとされています。

痛快なインタビューとなりました。ぜひお楽しみください。

 

聞き手:たいせつじかん編集部

 

■自分のからだが壊れていく経験

社会人になりたてのころはがむしゃらに働いたという山下さん

-まず、山下さんがこれまでどのような経験をされてきたのかを教えてください。

山下さん:私が高校を卒業したのは1996年、バブル崩壊直後の就職氷河期と呼ばれていた時代でした。そんな時代でしたから、大学に進学しても安定した未来があるのか不安で、進学への迷いがありました。

そんなときに、友人からの軽い誘いに乗って、1年間バックパッカーとして海外を放浪したんです。

ちょうどオーストラリア滞在中だったとき、いつもパソコンでカチカチやって、たまにカメラを持ってどこかへ出かける人がいたんです。

何をやっている人なのか興味があったので直接聞いたんです。その回答が、フェアリーペンギンというオーストラリアの南部にいる小さいペンギンの写真を撮って、記事を雑誌社へ送れば1年間生活ができるという話だったんです。

世の中にはこんなに自由に働ける仕事があるんだと衝撃を受けました。

-学生時代であればとくに、仕事とは9時から17時で会社に行くものだという固定観念がありますよね。

山下さん:そうですよね。ダメ元で自分も同じようなスタイルで働きたいがどうすればいいかと聞いたらグラフィックデザインの仕事に就くのがいいと教えてもらいました。

この言葉を頼りに、帰国後はグラフィックデザインにかかわる仕事をしようと動き出しましたが、相変わらずの就職難とデザインの勉強をしたこともなかったので就職までの道のりは苦労しました。

-たしかに、デザインの仕事は技術職ですよね!

山下さん:そうなんです。帰国後、とりあえず父親にグラフィックデザインの仕事に就きたいと話をしてみたら「デザインの仕事をしている叔母がいるから聞いてみろ」という話になりまして、すぐ相談に行きました。

叔母からは学校へ行くよりも、まずは自分のパソコンを買うこと、身の回りにあるポスターやチラシを1年間徹底的に真似て作ること、想像でいいからチラシやポスターを自分なりに作って面接を受けまくること、の三つのアドバイスをもらって1年間バイトをしながら自宅にこもって独学でやっていました。

それから1年くらいで小さなデザイン事務所に入れて、3年くらいグラフィックデザインの仕事をしていました。当時はweb業界が急成長していたころでして、職場の先輩から印刷の仕事は今後減るからウェブ業界に行けとアドバイスをもらい、ウェブデザインの会社に転職することになります。

-では、憧れの自由な仕事に就けたんですね!

山下さん:そうだったはずなんですが、グラフィックデザインもウェブデザインの仕事も当時はすごく忙しくて、会社にテントを張ってひと月泊まりっぱなしで働くようなこともありましたね。

-あら、ちょっとイメージと違いますね。

山下さん:そうなんです。さらに自分でも想定外だったのですが、目まぐるしいほど忙しい生活を続けていたら、からだを壊してしまったんです。

はじめは自覚症状がなかったのですが、日に日に肌に異変が出てきて結果的に急性のアトピー性皮膚炎になってしまいました。

そのあとは、起き上がることも辛くなってしまったので本当にまいりました。

-肉体的にも、精神的にも疲れてしまったんですね。

山下さん:当時は疲れている自覚はあまりなかったのですが、病院に行っても治らないし、体調を崩し始めた時期と結婚した時期がかさなっていたので将来がすごく不安でした。

-それは不安ですよね。そこからどのように回復したのですか?

山下さん:勤めていた会社も僕の体調を心配してくれて、当時ではめずらしい在宅ワークができるしくみをいっしょに考えてくれて仕事は続けることができました。そのあと、知り合いに紹介してもらった漢方の先生に「明らかにストレスだから、ストレスをなくすことを考えましょう」と言われたんです。

振り返ればそのころの生活は仕事と飲み会ばかりで、小さいころから趣味だった釣りや大好きだったサーフィンに行けていないこと、そもそも自然の中で汗をかいて遊ぶことが好きなのに、その生活から離れていることがストレスの要因になっているのではと言われ、在宅治療の身でどうすれば「仕事と自分らしい生活」の両立ができるのかを考えていました。

皮膚炎がひどかったので人前で裸になるのが嫌で、夜中に海に行って釣りをしたり泳いだりする生活をしていたのですが、3カ月くらいでみるみるうちにからだがよくなっていったんです。

そのときに、自分には都会の環境で仕事をするのは向いてない、自然が近くにある環境で仕事をして生活することが自分らしく健康に生きられる道なんだと痛感しました。

-なるほど、ご自身の経験が今の山下さんの活動に繋がっているんですね!

山下さん:そうなんですよね。ただデザインの仕事は大好きだったし、当時の会社の社長や支えてくれたメンバーにも恩を感じていたので、結果的に辞めますということではなくて、場所にとらわれない働き方ができる組織づくりを社内プロジェクトとして提案させてもらって会社の研究企画としてチャレンジさせてもらうことになりました。今のサテライトオフィスのもとになる企画ですね。

 

■徳島での挑戦から見えた地域活性化の課題とは

伊豆と徳島での経験を話す山下さん 

-サテライトオフィス事業について詳しく教えてください!

山下さん:体が回復したあと、デザイン事務所兼アウトドアスポーツのグッズレンタル事業を伊豆でやりたいのでお金を貸してくださいと社長に直談判しに行きました(笑)。

社長も唐突な話に驚いていましたが、在宅ワークの可能性や場所にとらわれない働き方など会社も理解をしてくれて紆余曲折の末、2005年から新規事業の一環として伊豆高原でアウトドアスポーツを初心者向けに教えるNPO法人と、企業ブランディングやデザインを企画する研修センターを併設した施設の責任者として働くこととなりました。

当時、こういった施設をなんと呼ぶか迷いましたが「サテライトオフィス」という施設名称をとある企業レポートから見つけ、それ以降「サテライトオフィス」と呼ぶようにしました。

-15年前の話ですが当時はサテライトオフィスという言葉が一般的ではなかったんですね。

山下さん:そうですね。バブル期に作られた言葉らしいのですが、バブル崩壊後はまったく忘れさられていたみたいです。

ただ、この伊豆高原のサテライトオフィス事業は残念ながら2011年に起こった東日本大震災をきっかけに終了してしまいました。

-震災とサテライトオフィス事業の終了にどんな関係があるのですか?

山下さん:NPO法人で所有していたキャンプ道具、雨具、活動用の車などをすべて被災地に寄付したんです。

当時NPO法人の活動を支援してくれていた会社や理事メンバーとも話し合い「今は遊びより被災地支援の方が大切」と意見が一致したのですべて寄付しました。結果サテライトオフィスには研修センターの機材や道具だけが残ったわけですが、研修事業だけで続けるというのは、私のやりたい事業ではなかったので会社とも話し合い施設を閉めることにしたんです。

-そもそも寄付をしなくても良かったと思うのですが、そのときはどういう思いで寄付されたんですか?

山下さん:NPO法人の意義って、儲けや利益を第一とするビジネスとは違うところにあるんですよね。世の中に新しい気付きや価値観を与えたり、ビジネスではカバーできない世の中のしくみを支えることが優先されるので、当時の被災地は手狭なテントで被災者が肩を寄せ合って暖をとったり、動く車が少なくて復旧活動がままならないなど酷い状況だったのを見て「今できることをしよう」と考えて手持ちの資材を寄付することにしました。

NPO法人の活動資材を寄付すると施設は閉鎖になると分かっていましたが、6年間本当にたくさんのことを勉強できたし、多くの仲間とも出会えたので後悔はいっさいありませんでした。

-そうなんですね。いきなり仕事が無くなってしまったわけですけどそのあとはどうしたんですか?

山下さん:被災地から戻ってきて間もなく、伊豆高原のサテライトオフィスに来たことがあった徳島出身の知り合いの方から「インターネットが使えれば伊豆高原と同じようなサテライトオフィスが徳島にも作れるのか?」と聞かれたので「そうですね」と何気なくこたえたら、「徳島は日本でいちばんインターネット回線が早いから徳島で何かやってくれないか」と言われまして。

まだ震災から3カ月くらいしかたっていなくて少し抜け殻状態だったのですが、気分転換も兼ね完全に観光気分で徳島に行ったら本当にインターネット回線が感動するくらい早かったんです。しかも自然環境も最高ですぐに使える空き家もたくさんあって「これならすぐにできるかも」と思いました。

現地の方もサテライトオフィスに興味津々でとても協力的だったこともあって、会社に戻ってからすぐに企画を練って、7月から責任者として徳島に行きました。

-次は徳島だったんですね!

山下さん:じつは、徳島の神山町という場所では、海外からアーティストを招待して古民家で滞在制作をしてもらい、町内に作品を展示して町おこしに活用する取り組みをやっていたんです。そのため、外部の人が地域に入って新しい活動をすることに対して、サポートもしっかりしているし田舎にしては比較的「ヨソモノアレルギー」が少ない地域だったんです。

徳島県でサテライトオフィスを開設した 2011年の夏ごろは、都市部の計画停電が実施されたり企業が分散してオフィスを持つことで有事に備えるという事業継続計画(BCP)に注目が広まりつつあったタイミングだったので、時流に押される形でサテライトオフィスの取り組みが話題になり、徳島県にサテライトオフィスを構える企業が一気に増えていきました。

一方で、徳島で過ごすうちに「過疎化」や「限界集落」、「少子高齢化」など地域の問題を目の当たりにするようになって、いつの間にかサテライトオフィスをする立場から、行政や地域の方といっしょになってサテライトオフィスを徳島へ呼ぶ仕事に興味が変わっていきました。

当時の会社もサテライトオフィスの運営が軌道に乗りつつあったので、一念発起で2012年にお世話になった会社を退社し、徳島県へ移住してサテライトオフィスの誘致事業を通じて知り合った徳島出身の社長と、地域活性化の支援をする会社を徳島の美波町という町に作り、2018年までがむしゃらになってサテライトオフィスを呼ぶためにさまざまな事業を企画し進めてきました。

徳島の新しい会社は2014年から始まった国の事業「地方創生」の追い風を受け順調に仕事が増えていきました。全国の自治体とも仕事をする機会が増えていたのですが、都会から地方へ会社や人が来るにつれて「ジモト」と「ヨソモノ」との軋轢を感じるようになり、本当にこれでいいのかと思うようになりました。

-軋轢とはどのようなものですか?

山下さん:地元の人「ジモト」と、新しく地域へ入っていく人たち「ヨソモノ」の間で起こるトラブルですね。

2015年くらいから田舎ぐらしや移住者の生活を伝えるテレビ番組やメディアが増えてきて、「田舎はいいぞ、安いぞ、楽しいぞ」という地方移住の良い一面ばかりを伝える情報が一気に出まわったのが一因だと思うのですが、田舎でのくらしに必要な地域の作法やルールを知らずに、いきなり地域へ来てくらし始めてしまうと、地域の方と価値観が合わないことが多々起きてしまうんです。

しかも困ったことに「田舎の作法」にはマニュアルや冊子はないので地域の方から教えてもらうしかない。目で見えるトラブルが起きたときには関係修復がむずかしいことが多いんです。

そういった部分を理解していない人がたくさん来るようになってしまったんです。

-なるほど!田舎ぐらしの大変なところはあまり放送しないですよね。

山下さん:そうなんですよね。今まで過疎化に苦しむ地域の行政の方や地元の方のお話をたくさん聞いてきましたが、移住者が増えると地域にとってプラスのことも起きるけど、思わぬ軋轢が生まれてしまうこともあってバランスを取るにはどうすればいいか困っていたんです。

地方へ移住する人は人生がかかっているし、受け入れる地域の方も自分が生まれ育った地域を少しでも良い状況で後世に残すために必死なので、その両者の軋轢は本当に悲しいことだと思います。

そんな状況を見ていて、都会から地方部に居場所を見つけ、今まで楽しく生きてこられた自分の経験から何かできないかと考えるようになったんです。

僕が田舎を好きになったきっかけは「遊び」でした。今でも自然の中で川や海で遊ぶことが好きで、地域の人はそれを知る大先輩だし「昔ながらの遊び方」を聞きながら他愛もない昔話や、地域の歴史、文化を聞くことが、初めての地域へ行ったときに行う儀式のようになっています。些細な時間ではあるのですが、地域のことを知るとても大切な作法だと感じています。

そういったことをもう少し具体的な形にしてお伝えする機会や体験できるサービスを作ることができたら、きっと今よりも「ヨソモノ」と「ジモト」の軋轢が減らせるかなと考えたのが今の仕事を作るきっかけになっています。

 

■真鶴から移住者を送り出す

山下さんご自身がDIYで古民家を改修 

-では、送り出し事業について教えてください。

山下さん:地方移住に関しての問題点は大きくふたつあると考えているんです。

ひとつめは、首都圏に住む方が移住や地方での仮拠点居住を考えたときに最初に相談する場所は、自治体が開催している移住相談窓口や移住体験ツアーだと思います。そういった場所では窓口に来る方の個性や考え方を聞くことがメインで「地域の作法」までは教えてくれないことが多いのです。

ふたつめは、移住の事業を行なっている主体は自治体なのですが、その自治体職員が移住先になる地域や地区のことをあまり知らないことが多いんです。

-自治体側が知らないということはあるんですか?地元のことですよね?

山下さん:そうなんですよね。窓口になる市町村役場や県庁の職員の方は、移住先候補になる地区や集落に住む人たちではないことが多いんです。最終的に移住者を受け入れていっしょに生活していくのは、地区単位のコミュニティなのでその地区の人から「どんな人に来てもらいたいか?その地区の生活サイクルはどんな感じか?」を聞く必要があるんです。

たとえば、同じ神奈川県でも横浜市に住む多くの人が真鶴の生活環境や文化を知らないことと同じです。さらに真鶴町でも自治活動やお祭りなどは地区ごとに違うので。

-なるほど。役場の人と話しても実際に生活する地域の人たちと事前に話しているわけではないんですね。

山下さん:そうなんです。もし移住を決断する前に、「地域のドアの叩き方」というか、自分に合った地域の見つけ方や、その場所に住まなくても地域住民の方と仲良くなる方法、移住を決断するまでの間に準備する事柄なんかを体験したり共有できるサービスがあれば、今よりもっと地方との関わり方や働き方が自由になる人が増えるのではと思ったので、新しく法人を作り本格的に支援する施設を作ることにしました。

参考にしたのは、青年海外協力隊です。彼らはアフリカに行く人にはアフリカの言葉を教えますし、病気にならないようにワクチンを打つよう指導してくれます。さらに地元での作法を教える。「頭を触ったらダメだよ」とか、「〇〇を食べちゃダメだよ」とか。そういった現地で生きていく作法を教えているんですね、要はあれを作ればいいんだと思ったわけです。

-それが、ここRockin’ Village​(ロッキンビレッジ)なんですね。でも、なぜ真鶴に作ろうと思ったのですか?

真鶴の岩地域の海岸

山下さん:まず、私自身が小さいころから真鶴と縁があったということと、東京から1時間半で来られる立地なのに、古き良き漁村の風景や文化がまだ残っていると感じたからです。さらに、真鶴であればどこでもよかったわけではなくて真鶴の中でも地域性が強い岩地区でどうしてもやりたかったですね。

-そうなんですね。ここはどういった目的で使えるのですか?

Rockin’ Village​の外観

山下さん:この施設では、会社や個人の方に移住や地域との関わり方などを教える研修や、岩地区の地域文化や遊びを体験してもらうサービスもしていますが、イベント利用やコワーキング、海岸の近くなので休日は海の家的に使ってBBQをしても大丈夫です。

近所に雰囲気の良い民宿もあるので、できれば泊まりがけで来てほしいですね。

岩地区に流れているのんびりした雰囲気のなかで2〜3日過ごしてもらって、地域の方と雑談でもしながら田舎の日常を感じてもらえたら良いなと。

もし、ここに滞在してもらって今後の自分の生き方って何かなって考えたとき「都会ではなくて少し田舎で生活してみてセカンドハウスを持っても良いかな」と思うことがあれば、僕の今までの経験とかご縁のある地域を紹介してあげて、新しい第一歩のお手伝いできたらいいなと思っています。

これが「どういうビジネスモデルなんですか?」と聞かれたら、まだ僕もなんと呼べば良いかよくわからないのですが(笑)。こういう取り組みをしていけば、きっと僕がめざす「地方への送り出し事業」が見えてくるかなと思っています。

-ここに来てもらって、田舎での生活を疑似体験してもらったうえで、本当の姿を体験してもらって、それでも大丈夫ですか?っていう、意思確認のようなものをすること場なんですね。
コロナの影響で田舎ぐらしもいいかなと思う人も増えたと思うのですが、実際に移住が失敗してしまう例ってどんなものがありますか? 

山下さん:最近増えてきているのが、地元の人の思いや考えを聞かずに地域を変えようとする移住者ですね。私は「意識高い系移住」と呼んでいますが(笑)。

過疎化や少子高齢化で地域が苦しんでいるのをニュースとかで見て、自分が救ってやるぞとスーパーマンみたいな気持ちで行っちゃう人がいるんですよね。そういう方ってどこか地域を上から見ていることが多くて、地元の方とトラブルになるか地域から疎外されてしまうことがとても多いですね。

どの地域でもそうですが、地元の方は口に出さなくてもその土地に住んでいるプライドがあるし、まして「ヨソモノ」に自分が生まれ育った地域を救ってほしいなんて思っていないと思います。自治や祭りの人手が減ってきたので手伝いにきてほしいって思っているくらいですね。

逆に、もし地域に入って自分の夢を叶えたいのであれば、まずは地域の日常にある些細な困りごとや地域の方が苦労していることのお手伝いから始めるくらいの心の余裕があると良いかなと思います。

ちなみにどの地域でも夏の草刈りの手伝いは重宝されますよ。

-コミュニティのある場所っていうことの意識は絶対に持って行かなきゃダメなんですね。僕らが「入れてもらう側」として入っていかないといけないですね。

山下さん:そうですね。たとえば、ここの岩地域であれば、この地域全体が「家」だと思えば良いと思います。ここに住んでいる人みんなが家族です。そうすると、都会から比べれば人の関係が近い理由もわかると思いますし、「プライベート」の考え方が少し違うので面倒なことも、人の温かみも表裏一体、自分の考え方、感じ方次第だとわかると思います。

よく移住の番組などで「おすそわけ」シーンを見ると思いますが、あれは当事者が何か地域のために汗をかいた結果で、地域の良い面だけを映したシーンだとわかると思います。

私たちもここで事業を始める際は地元の方への説明や挨拶はできるかぎりしてきましたし今でも続けています。施設も地元の方はフリーで入れるようにしています。

最近は近所の人の家の片付けを手伝ったり、草刈りの手伝いをしたり一歩ずつですが岩地区で私たちのことを理解してもらえるように、新米町民として日々過ごしています。

先日、地元の方からお酒の席に呼ばれたのですが、そのときに「岩に若い子が増えると良いね。仕事がんばってくださいね」と言ってもらえたことがとてもうれしかったです。

まだまだ始まったばかりですが、たくさんの方に岩のこと、私たちの取り組みを知ってもらえるように一歩ずつ進んでいこうと思います。

-今日はありがとうございました。

 

編集部のひとこと

ライター

ゆめちゃん

コロナ禍を通してたくさんの常識が変わってしまったように感じます。変わってしまった常識のひとつに仕事は出社しなくてもできるではないかという考えの変化があると思います。この変化により、都会から離れ自然の多い環境で生活しようと考える人も多くなったのではないかと思います。

しかし、山下さんは移住者の意識を変えなければ絶対に移住はうまくいかないと言います。地方の魅力が見直され始めている今だからこそ山下さんの言葉をひとりでも多くの人に届けたいと思ったインタビューとなりました。

編集部メンバー

編集長
かなさん

ふたりの子どもがいるワーママ。お酒が好き。とにかく声が大きい。

ライター
せいくん

家事全般、特に料理が得意な新人ライター。気も声も小さい。

ライター
ゆめちゃん

好奇心旺盛。食べ歩きや女子会が大好き。いつもTシャツ。

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