輝く男性インタビュー
- 世界の問題に対する活動をサポートしたい!キリバスでの活動を経て、茅ケ崎で名物チキンの「ロケットチキン」を運営する中島拓也代表が思い描く夢。
ロケットチキンを運営する代表の中島拓也(なかじまたくや)さん
2019年キッチンカーグルメ選手権で、金賞を獲得した「ロケットチキン」の中島拓也さん。青年海外協力隊として訪れたキリバスでの経験が、中島さんの考え方を180度変えるきっかけになりました。
キリバスでの経験からロケットチキンが藤沢・茅ヶ崎の地に生まれて6年、代表の中島さんにお話を聞きました。信念を貫く中島さんの思いが詰まったインタビューを、ぜひお楽しみください。
聞き手:たいせつじかん編集部
■なかなか思い通りにいかなかった若いころの経験
将来について真剣に悩み海外にチャレンジすることを決めたという中島さん
-青年海外協力隊でキリバスに行かれたとのことですが、どういう経緯でキリバスに行くことになったのかを教えていただけますか?
中島さん:社会人生活をスタートしてから3年は和食のお店で見習いをしていました。当時は一流の板前になって海外のレストランで働きたいと考えていました。しかし、続けていくなかで「何か違うかな。」と思うようになり、そこから将来の方向性について真剣に悩むようになりました。
そして、海外のレストランで仕事をしたいという願望から、エージェントを通して世界の和食企業に当たってもらいましたが、キャリアが無いためすべて断られてしまいました。
自分だったらできる!と思ってはいましたが、まだ24歳という若さでしたし、なかなか思い通りにはなりませんでしたね。
■目的が明確になったキリバスでの経験
青年海外協力隊の一員として途上国キリバスへ
中島さん:そんなとき、ふと人間社会のあるべき姿ってどんなものなんだろう?と疑問に思ったんですね。
その疑問の答えを探すために、やはり日本ではなく、世界を見てみたい。さらに、先進国ではなく、途上国に住んでみようと考え動き始めることにしました。
あてはなかったので、まず、青年海外協力隊について調べてみました。そのときに、たまたま途上国キリバスの案件がひとつだけあったので、これだ!と思ってすぐ応募しました。それが、キリバスに行くことになったきっかけです。
-青年海外協力隊の活動には誰でも参加できるものなのですか?
中島さん:いいえ、事前に面接を受けて合格した人たちだけが参加できます。このキリバス行きの案件に対しても、僕のほかに応募者が20名ほどいました。
応募者の中でもかなり若い方だったので、経験や実績ではアピールできるポイントが少ないわけです。何としてでも合格するために、「英語は話せないし、料理の腕も10,20年経験している人よりも劣るかもしれないけれど、でも、どうしても行きたいんだ!」という気持ちをまっすぐに面接で伝えました。
すると、面接官がその場で現地の調整員の方に連絡をとってくれて合格することができたんです。僕の思いが届いた瞬間でした(笑)
-キリバスでは具体的にどのようなことをされていたのですか?
中島さん:船の乗組員養成学校に配属されたので、主にそこで「食」や「衛生学」について約6カ月間、教えていました。
休日には、見習い時代に学んだ手巻き寿司を現地の食材を使って、現地の方たちに披露することもあったのですが、それだけで日本から料理人がきたぞ!と引っ張りだこでとても感謝されました。
こんなに感謝をされたのは初めてでした。そのときに自分が生きている価値を見出すことができたんです。
また、キリバスは気候変動の海面上昇の被害が深刻な国で、僕の活動期間中にも何人かの研究者が来ていました。
彼が「自分の研究が、人のためになるならそれが一番うれしい」と言ったんです。彼は見た目も、着ている洋服も当時の私が持っていた「かっこいい」の価値観から真逆の人だったのですが、そのひとことを聞いたときにそんな目的をもってきている彼が心底かっこいいと思いました。
僕の「かっこいい」の概念が180度変わって、そんな生き方にとても憧れましたね。
“あなたが生きる人生を愛する あなたが愛する人生を生きる”
■キリバスでの経験を経て、ロケットチキンは誕生する
ロケットキチン店内の様子
-キリバスでの経験が中島さんを大きく変えるできごとだったんですね。では、日本に帰ってきてから、すぐにロケットチキンをスタートさせたのですか?
中島さん:いえ、ロケットチキンを始める前に、秋葉原にあるラーメン屋の店長として、働いていました。
-なぜ、ラーメン屋の店長として働くことになったのですか?
中島さん:キリバスから帰ってきたときも、海外で起業しようと思っていたんです。
そんなときに、アメリカに事業を展開していく予定のラーメン店の店長を探していると聞き、ここでがんばれば海外に行けるチャンスがもらえるかもと思い働くことにしました。
結局、アメリカでの事業展開は見送りになったのですが、市場調査のためにアメリカ視察にいかせてもらえたことが、その後の展開に大きな影響がありました。アメリカには、マクドナルドを始めとして世界規模で展開している飲食チェーンが多いですよね。
それってなぜなんだろうと考えるきっかけになり、そのときに考えたことがロケットチキンの考案につながっているんですよね。
当初は海外での起業を考えていたと話す中島さん
-なるほど、アメリカ視察を通して起業するための道筋が徐々にかたまったんですね。
中島さん:そうですね。それから海外で起業するために本格的に動き始めました。まずは、事業計画を作ってたくさんの人にお会いして、わたしのビジョンをお話するということを続けました。
そんななか、ある方から「いきなり海外はリスクが大きい。まずは、目の前のできることからはじめてみなさい。その中で成功を積み重ねていった方がいいよ」と言われ、日本で起業することを決意しました。
その言葉をもらいロケットチキンは誕生しました。
■一度食べると忘れられないインパクトのある商品を
唐揚げでもフライドチキンでもない新感覚のロケットチキン
-ロケットチキンを始めるにあたり、最初にしたことは何でしたか?
中島さん:まずは失敗しないお店づくりに集中することですね。その基盤ができた後でロケットチキンの研究を始めました。
-それが、唐揚げでも、フライドチキンでもないまったく新しいジャンルのチキンなんですね!
中島さん:そうなんです。味も見た目も一生の思い出に残る名物料理を作るために、見た目にもこだわりました。そのころはまだインスタもないときの話です。
■世界にはばたけ、ロケットチキン!
ロケットチキンを湘南から世界へ
-これまで右往左往しながら、ようやくロケットチキンは誕生しましたが、次にロケットチキンがめざすものは何ですか?
中島さん:最近ではロケットチキンの熱烈なファンの方も増えてきています。
ですから、ロケットチキンを誰でも知っているブランドに作り上げていきたいと思う一方で、最近では、よりローカルに根差したブランドにしたいと考えるようなっています。
茅ケ崎を中心とした湘南エリアの方たちの信頼を得て、地域の方々の心を鷲掴みにしていきたいです。
-いきなり広げるのではなく、まずは近くにいる人たちにしっかりとロケットチキンをローカルフードとして認識してもらうことがより多くの方たちの支持を得るために必要だとお考えになったんですね。
-では、今後の目標をお聞かせください。
中島さん:僕自身の大きな目標としては、キッチンカー事業も始めているのですが、その事業が大きくなり資金を得ることができたら、その資金を使って僕のルーツにもなっているキリバスやツバル、バヌアツと何か交流を持ち、慈善活動ができたらいいなと思っています。
青年海外協力隊の慈善活動にも、かなり費用がかかりその資金は税金から捻出されます。
そのために事業を成功させて資金を得る必要があり、税金からではなく自分の資金から活動費を捻出できれば自己完結できるので、それが理想です。
スタッフが旅した思い出が記録されている
-すばらしいですね!ただ単に起業したいという漠然とした考えから、事業の成功から得た資金の使い道まで具体的にイメージされているんですね。
中島さん:お金があれば幸せということではなくて、お金の使い道が社会に向いていることが重要で、その活動に対して感謝され、感謝されることに喜びを感じることができたら僕も幸せです。
編集部のひとこと

ライター
せいくん
ロケットチキンでは、働くスタッフの夢や旅をすることに対して支援する、夢・旅ボーナスがあるそうです。
店内には、実際にそのボーナスを活用された方の写真が飾られていました。
茅ヶ崎に訪れた際は、唐揚げでもなく、フライドチキンでもない新感覚のロケットチキンを、ぜひ召し上がってみてください。
- ロケットチキン公式ホームページ:
- https://www.rocket-chicken.com/
編集部メンバー
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ふたりの子どもがいるワーママ。お酒が好き。とにかく声が大きい。 |
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家事全般、特に料理が得意な新人ライター。気も声も小さい。 |
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好奇心旺盛。食べ歩きや女子会が大好き。いつもTシャツ。 |