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輝く男性インタビュー

【前編】導かれるように歩みだした社会福祉の道。 子どもたちの居場所づくりを通して、福祉課題の解決に取り組む NPO法人サードプレイス代表 須田洋平さんインタビュー

NPO法人サードプレイス代表 須田洋平さん

平日午後3時、地区センターの一室。小学校の教室くらいのこの部屋で、大学生のお姉さんを、2、3人の女の子が囲んで楽しそうに話しています。ほかにも4つぐらいの小さなグループがいて、ホワイトボードに絵を描いたり、ただ、ほかのグループの様子を眺めている子どもたちもいます。

ここは、横浜市鶴見区寺尾地区センターにある子どもの居場所、通称「地区センカフェ」。地区センター+カフェの略称です。ここを運営するのは、NPO法人サードプレイス。横浜市鶴見区の子どもの支援場面では、耳にする機会がとても多い団体です。近年、子どもの貧困など、子どもに対する支援が叫ばれる一方で、子ども食堂などを開催しても、本当に助けが必要な子どもに支援が届いていないという意見も少なくありません。

今回は、NPO法人サードプレイス代表で、社会福祉士である須田洋平さんに、サードプレイスの取り組みや、子ども支援に対する思いについてインタビューさせていただきました。

聞き手:たいせつじかん編集部

■ “自由”と”あこがれ”のある場所―「地区センカフェ」の魅力

地区センカフェの様子

地区センカフェで子どもたちといっしょに過ごす地区センカフェのスタッフ “にょん”さん(真ん中)

―本日はよろしくお願いします。

須田さん:よろしくお願いします。

―子どもたちの楽しそうな声が聞こえますね。女の子が多いようですが、この「地区センカフェ」とは、どんな場所なのでしょうか?

須田さん:ここは地区センターの一室を利用した、放課後の子どもの居場所です。たしかに、割合的には女の子の利用が多いですね。男の子はジュースを飲みにひと息つきに来ます(笑)。

―子どもたちのなかに、おとながふたりほどいますね。ひとりは大学生のように見えますが。

須田さん:彼女は“にょん“といいます。ここに来る女の子たちの多くは、にょんと話したくて来ます。小学校高学年ごろの女の子にとって、自分たちのちょっと先を行く大学生のお姉さんはあこがれの存在。彼女とファッションやアイドルの話をして楽しんでいます。

―なるほど!では“にょん”さんは、学童やはまっこふれあいスクール、放課後キッズクラブなどの若い指導員という感じでしょうか?

須田さん:「指導員」という言葉がマッチしているかはわかりません。この場所の位置づけも意味も、学童などの預かり保育とは異なります。ここでは子どもたちは自由。ふだん子どもたちは、何をするかを決められたなかで生活をしていてることが多く、自由な時間があっても、何をしていいかわからない子も少なくありません。わたしたちは、それを取っ払ってあげる場所が必要だと思いました。だから、この場所は「開いているから勝手においで。」というスタンス。手を振っていくだけの子もいます。ジュースを飲みに来るだけの子も(笑)周知広報もあまりしていませんので、口コミで広がっています。

―来るのも来ないのも自由ということですね。しかし、この地区センターには子どもたちが自由に来て自由に使える場所はたくさんありますよね。ロビーでは集えるし、体育館で体を動かして遊ぶこともできます。なぜ、あえてこの場所を開いているのですか?

須田さん:たしかに、地区センターは子どもたちが遊ぶ<スペース>はありますが、子どもたちは、地区センターのおとなと顔を合わせることはないのです。わたしたちは、定期的に顔を合わせて、お互いを認識しあう関係を作る場所が必要だと思っています。これが、サードプレイスの原点です。

―なるほど!地区センカフェでは、子どもたちが自由に行き来するなかで、にょんさんをはじめとするおとなたちと、しっかりと関係性を築こうとしている場所ということですね!

■「こんなところに地区センカフェ」の、なぜ!?

地区センカフェの様子2

思い思いの活動をする子どもたち(地区センカフェの様子)

―そもそも、どのような経緯でこの地区センカフェはスタートしたのでしょうか?

須田さん:NPO法人サードプレイスという団体は、“地域のなかで子どもたちの居場所をつくりましょう”という目的をもって始動しました。そして、いざその実践をどこでするか?というところで、この場所を選んだのは、わたしがもともと社会福祉協議会(以降、社協)の職員として、この地区センターで働いていたところが大きいです。当時、この地域との関わりの中で、気になる子どもたちもたくさんいて、こういったオープンスペースな場があったなら、その子たちともっと関われていたのかなという思いがあったからです。

―この寺尾地域は、特別気になる子どもたちが多い地域なのですか?

須田さん:そういったことではないです。どの地域にも気になる子どもたちは一定数いますし、学校や地域の方たちがそういった子たちのサポートをしてくださっています。横浜市にはケアプラザがあり、福祉的な取り組みはケアプラザが中心ですが、日常的に子どもたちが遊びに来るのは地区センターです。地区センターに勤務していたときに、気になる子どもたちが日常的に集まってくる地区センターでこそ子どもたちへの寄り添いやサポートをすべきだと思いました。地域の方たちも見守りをしてくださっていますが、子どもたちの近くにいる専門職だからこそ気づくことも多かったです。その実践をするには、やはり寺尾地域でという思いからです。

―社協時代の経験のなかに、“専門職だから気づく”子どもたちのリスクがあったのですね。子どもたちが普段過ごす地区センターのなかで活動することは、そのような問題を地域の中で表出させる効果もありますね。この地区センターでサードプレイスが活動する意味が理解できました。

“地区センター”というと、特定の層に限定せず、赤ちゃんからお年寄りまでが活用できる施設だと思います。その職員であった須田さんが現在のように、子どもの支援にとくに力をいれることになったきっかけはあったのですか?

須田さん:仕事としては、社協を辞めた後に入職した、NPO法人あしほで経済的困難を抱える子どもの支援に特化した事業に従事したのが最初です。横浜市の委託事業で、経済的困難がある子どもたちを対象とした「寄り添い型学習支援事業」と「寄り添い方生活支援事業」という2種類があるのですが、そのうちの生活支援事業に携わりました。鶴見区で初めてこの事業を実施するというときに、あしほの当時の理事長・野口さんからお声がけをいただきました。

地区センターでも、子どもの事業はいっぱいやっていましたが、ケースワークのような個別支援を行うことはできていませんでした。たとえば、地区センターでのイベントでも、参加費が払えなくて参加できない子、いつも同じ服を着ている子、いつもおなかを減らしている子をみていて、当時の館長と個別にサポートを続けていましたが、このような子どものことをもっとフォーカスしていろいろやれることがあるのではないかというもどかしい思いをもっていましたので、やりがいのあるチャンスをいただけました。

―社協時代に培った人脈がきっかけとなったということですね。

須田さん:たしかにその通りではありますが、わたしと野口さんのつながりは、“子ども”ではなく、鶴見区の“災害ボランティアネットワーク”がきっかけ。災害ボランティアネットワークには地区センターも参加しているのですが、私自身が災害時の対応に関心があったので、会議に参加する担当者にしてもらいました。会議などに出席するなかで、当時、ネットワークの副代表をされている野口さんと知り合いました。

―“子ども支援“とは直接関係のない場でつながった縁だったのですね。

須田さん:NPO法人あしほは、介護保険事業、いわゆる高齢者福祉を手掛けている団体で、子どもの事業は行っていませんでした。野口さんが「子どもの支援をやりたい」とおっしゃっていた経緯もあり、この事業に結びついたのです。当時、わたしは社協を辞めて東北の被災地支援に行っていたのですが、「須田さん、子どもの支援やってみない?」とお声がけをいただけました。互いに子ども支援への思いを伝えていたからつながった縁なのだと思います。

―思いを言葉にするというのは大切なことなのですね。実践の機会に結び付くなんて、すばらしいことだと思います。

あしほでの経験を経て、2017年にNPO法人サードプレイスを設立するわけですが、その間の経緯を教えていただけますか

須田さん:社協退職後は、前述通り東北の被災地支援へ向かい、2012年にあしほへ転職しました。あしほで貧困対策事業に関わるなかで、「子どもの支援」について話をする機会が多くなりましたが、「子どもの貧困」については全然周知が進んでいないな・・・ということを実感しました。

ただ、社会の関心もあがっているテーマだったので、講演などのお声がけをたくさんいただくようになっていました。わたしとしては、それにこたえていきたいという思いの一方で、こういった活動が、事業に穴をあけてしまう恐れも出てきてしまったため、約3年半であしほを退社し、その後1年間、フリーランスとして活動を行うこととなりました。

―やりたいと思っていたケースワークを実践する場は実現していたのに、フリーランスへと転身して活動する目的は何だったのでしょうか?

須田さん:前述通り、子どもの貧困について理解を進めるということが重要だと感じました。その先に、子どもの支援のリアルな場をつくるときの理解者を増やしていくという目的があったのです。

【番外編】編集部はミタ!これがソーシャルワーカー須田洋平のもうひとつの原点!

笑顔の須田さん

“子どもの貧困““生活困窮““社会福祉“など、今回の記事では、「聞いたことはあるし、理解しているつもりだけど、うまく説明はできないなぁ・・・」という言葉がたくさん出てきましたね。”ソーシャルワーカー“という言葉も同じでしょう。日本語では”社会福祉士“と位置付けられることが多いですが、いったい何をする人なのか説明できる人は少ないのではないでしょうか?

今回のお話をうかがっている須田さんもソーシャルワーカーのひとりです。ソーシャルワーカーをひとことでいうと、「社会生活のなかで実際に困っている人々を対人援助の専門性をもって援助する職種の方」といえます。インタビュー後編では、ソーシャルワーカーである須田さんが、どのような専門性をもって社会に働きかけているのかを感じていただけると思います。

この番外編では、須田さんがソーシャルワーカーをめざしたきっかけについてお伝えしたいと思います。インタビュー中に「記事になりませんよ、こんな話は・・・」とおっしゃりながら話していただいた内容が、あまりにもチャーミングでしたので、番外編として余すところなくお伝えしたいと思います。あふれ出る須田さんの素敵な人柄を感じてください!!

 

須田さん:いやあ、本当に記事にはならないと思うけどなぁ・・・(笑)

―いえいえ、ぜひ子どもたちにも聞いてほしいです!まずは、須田さんが社会福祉に関心をもったきっかけをお聞かせください。

須田さん: きっかけは、高校3年の時に高校の近くのケアプラザ主催のサマースクールに参加したことです。そもそも高校を卒業したら公務員試験を受けて就職するつもりでいたので、社会福祉の道どころか、ボランティアにもまったく関心もなかったのですが。

―それがなぜ、サマースクールに参加することになったのですか?

須田さん:公務員試験を受けるために予備校に通っていたのですが、夏に1週間くらいの休みができたとき、毎年そのサマースクールに参加していた友人がたまたま声をかけてくれたのです。「女の子がいっぱい来るヨ」と・・・。

―それじゃあ、喜んで行きますよね!(笑)

須田さん:はい、喜んで(笑)。動機も不純だったうえに、もともといろいろなことにやる気を出すタイプでもなかったから、大きな期待はしてなかったのですが、そのサマースクールがとてもおもしろかったのです。わたしの担当した活動内容は、男子高校生がふたり一組で家事援助に派遣され、家のなかの掃除や話し相手など自由にやらせてくれました。力仕事や庭の手入れ。わたしたちは遊びで行っている感覚だったけれど、おじいちゃんおばあちゃんたちに「ありがとう」と言ってもらえました。そのとき、この世界、おもしろいな・・・という思いが芽生えましたね。

―それからは進路が変わったのですね。

須田さん:はい。じつは学校はあまりまじめに行っていなかったのですが、ちゃんと卒業して福祉を専攻する大学へ進みました。

―高校3年生の熱き出会いですね!

須田さん:はい(笑)

―でも、なぜまじめに学校へ行ってなかったのですか?

須田さん:うーん、どうして勉強をしなくてはいけないかがわからなかった。誰もおとなは教えてくれなかったですね。その理由がわからないのに学校へ行くのは時間の無駄だな・・・と思っていましたね。

―なるほど。しかしサマースクールを経験して、勉強をする意味が見つかったのですね。

須田さん:そうですね。

―ところで、学校へ行かずに、須田さんは毎日な何をされていたのですか・・?

須田さん:え・・・?湘南でサーフィンしてました・・・。(えへへ)

編集部のひとこと

編集長

かなさん

福祉課題への取り組みを実践するには、比較的安定した立場といえる社協やNPOの組織を飛び出して、フリーランスで活動することを選択した須田さん。それぞれの組織の中で、見えているけれども置き去りにしてしまった子どもたちの課題に、いまいちど向きあおうする覚悟を感じました。
後編では、須田さんが追い求める「子ども支援」の姿と、その実現にたどり着くまでの須田さんのソーシャルワークについてお話をうかがいます!

編集部メンバー

編集長
かなさん

ふたりの子どもがいるワーママ。お酒が好き。とにかく声が大きい。

ライター
せいくん

家事全般、特に料理が得意な新人ライター。気も声も小さい。

ライター
ゆめちゃん

好奇心旺盛。食べ歩きや女子会が大好き。いつもTシャツ。

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