輝く男性インタビュー
- さまざまなスポーツのプロ経験者が子どもたちの夢を全力で後押しできる環境をつくりたい。元プロ野球選手加藤幹典さんのインタビュー
2007年に東京ヤクルトスワローズからドラフト1位指名を受け、プロ野球選手となった加藤幹典さん。現在は、横浜駅に近い複合型体験エンターテインメントビル「アソビル」で野球教室を主催するなど多方面で活躍されています。
今回は、加藤さんにプロ野球選手になるまでのお話、プロ野球選手となったあとそして、引退後の夢についてお話をお聞きしてきました。
新しい夢に向かって動き出した加藤さんだからこそ語ることのできる、野球をはじめスポーツをやっている子どもたちへの熱いメッセージ。そして、野球に対する情熱の詰まったインタビューです。
ぜひお楽しみください。
聞き手:たいせつじかん編集部
■プロ野球選手になることだけを見つめていた学生時代
学生時代の思い出を語る加藤さん
-加藤さんが野球を始めたきっかけから教えてください。
加藤さん:2歳上の兄の影響で小学校1年生のころから始めました。小学生になったらサッカーをやろうと思っていたのですが、兄といっしょに参加した6年生のお別れ会の試合で野球が大好きになってしまってそれからずっと野球をやっています。
-神奈川県にはたくさんの野球が強く、甲子園をめざすような高校がありますが
横浜市内の公立の進学校に進まれていますよね。ご自分の進路を決めるうえで、甲子園をめざしたいという思いはなかったのでしょうか?
加藤さん:おそらく、数校からはお誘いをいただいたのですが、最終的には監督が「おれが育ててやる」と言い切ってくれたのでその高校を選びました。あと、甲子園をめざしたいという思いはありませんでした。
-気持ちがいいほどきっぱりしていますね!やはり、野球少年にとっては甲子園はひとつの大きな目標だと思っているのですが、その裏にはどのような考えがあったのですか?
加藤さん:小学生のころからプロ野球選手になるもんだと思い込んでいたので、甲子園は目標ではありませんでしたね。
-でも、実際に知り合いの選手が甲子園に出場している姿を見ると違った思いが出てきたりしませんでしたか?
加藤さん:うーん、小学生のころにライバルと言われていた選手が春の甲子園に出場した姿を見たときは、多少思うこともありましたけどね。でも、どこで野球をやっていてもプロ野球選手にはなれると考えていましたので、自分が望む環境で野球に集中することがいちばんだと思っていました。
-では、どのタイミングで実際にプロ野球選手になることが現実味をもってイメージできるようになったのですか?
加藤さん:高校1年の冬に膝の手術をしたことがきっかけで、リハビリの一環として体幹トレーニングをみっちりとやったんです。その結果、球速が10kmも早くなったんですね。このときから、プロ注目の選手として取り上げていただくことが増えてきました。それまでは、市内で有名な選手という程度でしたが、全国に名前を知っていただけるようになったので自分でもしっかりと意識するようになったと思います。
-高校生のころからプロ野球チームにも注目されていたということですから、大学進学時はかなり悩まれたんでしょうか?
加藤さん:プロチームからも一部お誘いをいただいていたようですが、高校の監督と話をし、高卒でプロになっても潰れてしまう可能性が高いと判断し大学進学を選択しました。
-大学は慶応大学に進まれていますが、慶応大学を選ばれた理由はどこにあったのですか?
加藤さん:実際に、当時の慶応大学の監督が僕を見に来てくれたんですよね。慶応は、純粋なスポーツでの推薦入試はありませんので、受験に向けたアドバイスもしてくれるということでしたので、慶応大学を選びました。
-すごく抽象的で勝手なイメージですが慶応大学というと、スマートな印象がありますが野球部は大変でしたか(笑)?
加藤さん:スマートですかね?どの大学でも野球部に入ればそうだと思いますが、野球漬けの毎日でしたよ!
実際に、一部のメンバーは入学からグラウンド近くの寮で共同生活をするのですが、当時の寮があまりきれいではなくてですね…というか、プレハブ小屋みたいで汚かったんですね。そこに入寮してから2週間ぐらいしてから、持病の喘息が悪化してしまって寮生活をやめて自宅から通学させてくれるようにお願いしたことがあったんです。もし、あのときに監督がそのことを了承してくれなければ野球をやめようと思っていたので、本当に良かったですね。
-すいません、勝手なイメージのお話をしてしまいました。では、実際にプロになった日のことをお聞きします。ドラフト会議の日は事前に指名されることを教えてもらえるのですか?
加藤さん:選手側はいっさい知りません。みなさんがテレビでドラフト会議を見ているのと同じ状態ですよ。協定でプロのスカウトの方と学生が、コンタクトを取ることが禁止されているんです。ですので、学生側はまったく分かりません。
-では、どきどきしながら待つんですね。ドラフト1位で指名されたときはどんな気持ちでしたか?
加藤さん:当然うれしさもありましたがとても複雑な気持ちでした。同年には、ドラフト指名が確実と言われている投手がほかにもいたんですが、彼らが6球団指名、5球団指名で私が1球団指名だったんです。ですから、その年のドラフト1位指名は最初は3名だったわけですが、私だけ1球団指名だったので悔しいと思ったことを今でも覚えています。
-ご自身では、負けてないという思いが強かったんですね。
加藤さん:いっしょに日本代表としても戦ったメンバーだったので、指名球団に差がついたという事実は本当に悔しかったですね。
■プロ入り後は自分を見失いそうになりながら、けがとの戦いが続く。
プロ野球選手の時代の思い出を語る加藤さん
-プロ野球選手になってからのお話をお聞きします。プロ野球選手になったんだなと実感したのはどんなときでしたか?
加藤さん:自分用に採寸したユニフォームと野球道具一式が自分のロッカーに届いて手にとった時ですね。この時にプロ野球選手になったんだなと実感しましたね。
-そうなんですね!私が社会人になって初めて名刺をもらったときに社会人になったなと実感したエピソードとそれほど変わらないですね(笑)
では、プロ野球の練習に参加されてやっぱりプロは違うなと思いましたか?
加藤さん:若さもあったと思いますが、それほど驚かなかったんです。やってやれないことはないなと思いました。
でも、学生からいきなりプロ野球選手になってしまって、まわりに相談できる先輩もいなかったので、新しい環境になかなか適応できずに自分をどんどん見失っていっていることには気づいていましたね。
-なるほど。環境になれることが大変だったんですね。
加藤さん:そうですね。そんななか、例年であれば調子が上がってくるはずの春のキャンプのころに調子が上がってこないことに違和感を覚えていました。なかなか、良い球が投げられずに悩んでいたんです。
自分としては、体に異常があるのかもしれないと思いトレーナーに相談をしたのですが、検査をして異常があれば2軍に行くことになるがいいのかという話をされて、このまま続けるという決断してしまいました。結果としてこの違和感の原因が筋肉の故障であったことが3年後に分かるんですが、このときに2軍に落ちてでもしっかりと検査をしておくべきだったと今でも悔いが残ります。当時は、まわりの期待にこたえたいという思いも強くありましたから自分しか感じることができなかった違和感に正しく向き合うことができませんでした。
-プロの世界でもケガの予兆を公けにしにくいという意識はあるんでしょうか?
加藤さん:そうですね。当然ですが、けがをすれば故障者として1軍にはいられなくなるわけですから、だましだまし続けてしまって本当に無理だという状態までやることが多いと思います。事実として、今でもプロの選手が故障してしまうと長期離脱が多い理由はここにあると思いますよ。
-選手の立場であれば、プロである以上は試合に出なければお給料をもらえないわけですし、ファンの期待にもこたえたい。そうなれば無理をしてでも試合に出続けたいと考えるのは当然ですね。
加藤さん:そうですね。でも、ここで1度立ち止まって1年休むことになったとしても、その先の未来をしっかりと見据えた選択ができればよかったなと今でも悔やむことがあります。
-そして、5年目の秋に戦力外通告を受けられたということですが、その心境をお聞かせください。
加藤さん:最後の年は、故障が悪化して痛み止めの注射を打ちながら試合に臨むような日々でしたので、やっとこの生活から解放されるんだという思いが強かったですね。
-なるほど。では、野球に未練はないという思いだったんですね。
加藤さん:いや、未練はあります。けががなければどうなっていたかなという思いがありますからね。少しでもいいので、からだが万全な状態で野球がしたかったですね。
でも、この経験があるからこそリハビリの仕方や、けがに対する向き合い方など、今に繋がる多くのことを学ぶことができました。ですので、今の自分には大きな財産となる経験でしたね。
■子どもたちの夢をかなえるお手伝いがしたい
今後のビジョンを語る加藤さん
-では、引退後のお話をお聞かせください。
加藤さん:引退後は、野球から離れたいという思いと、社会人としての経験を積みたかったこともありヤクルトに就職して、ヤクルトレディーの方々と同行して営業活動をしていましたね。
3年間は、完全に野球から離れて仕事に没頭しました。そのうちに、仕事にも慣れてきて、余裕が出てきたころに少年野球の指導など少しずつ野球に触れる機会が増えてきたんです。そのころから、野球を教えることはとても楽しいことだと思うようになったんです。ですから、仕事の合間にボランティアで少年野球の指導を続けていました。
そのなかで、少年野球の現場は、必ずしも正しい知識に基づいた指導がなされているわけではないことに疑問を持つようになりました。
自分自身が、けがで野球をやめることになった経験をしているので、自分と同じよう経験をする子どもを減らすためにも、正しい指導が行われて、純粋に野球の楽しさを学べる場を作りたいと思い、スポーツ事業を中心とする自分の会社を立ち上げました。
私の会社のスローガンは、「子どもたちに夢を与える機会をふやしたい」です。そのために、正しい知識をもったプロ契約経験者の方を指導者としたヒーローズアカデミーという教室を作っています。
-なるほど。では、この横浜駅のアソビルで開催されている野球教室は加藤さんが野球を教えてくれる野球のヒーローズアカデミーなんですね。
加藤さん:そうですね。今後は、野球以外も増やしていきたいと考えています。
また、現在では、日本プロテイン協会の代表理事を務めています。プロテインというとどうしても、筋肉をつけたい人が飲むものというイメージがあると思うのですが、スポーツをするお子さんからスポーツをされない一般の方にも健康で快適な生活を送るために不可欠な栄養素をとることができるものです。ですから、もっと多くの方たちに知っていただきたいと思い、プロテインマイスターという資格を創るなどさまざまなアプローチでプロテインの普及活動を行っています。
-では、最後に加藤さんが考える野球の魅力を教えてください。
加藤さん:チームスポーツなので、ひとつの夢にみんなで向かっていくので協調性が養えて、さらに仲間を作ることができることも魅力ですよね。あともうひとつが、最終的な目標とされるプロ選手になったときの経済的なメリットが非常に大きいということです。ほかにもプロスポーツがありますが、その中でも野球は規模が違いますので、そういった面でも夢のあるスポーツだと思います。
ぜひ、たくさんの子どもたちとその夢をの実現に向けていっしょに挑戦していきたいですね。
-加藤さん、今日はありがとうございました。
編集部のひとこと

ライター
せいくん
加藤さんは、元プロ野球選手とは思えないほど物腰がやわらかく優しい方でした。そんな加藤さんはプロ野球選手になり、野球に育ててもらったから、野球に何かを返したいと語ります。野球人口が減少していると言われている昨今ですが、そうであれば逆にプロになる競争率が下がっていると考えて、野球を始めるほうがぜったいにいいですよと笑っておっしゃりました。
編集部一同、それはそうだなと思い、このことはしっかりとみなさんにお伝えしたいと思いました。
子どもたちの夢をかなえるお手伝いを始めた加藤さんのこれからに引き続き注目していきたいと思います。
- スポーツ塾Hero’s academy ホームページ:
- https://heros-academy.jp/school/baseball/mikinori-kato/
- 日本プロテイン協会 ホームページ:
- https://japan-protein-association.com/
編集部メンバー
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ふたりの子どもがいるワーママ。お酒が好き。とにかく声が大きい。 |
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家事全般、特に料理が得意な新人ライター。気も声も小さい。 |
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好奇心旺盛。食べ歩きや女子会が大好き。いつもTシャツ。 |