輝く男性インタビュー
- 農業は人と人をつなげると信じてる。農業こそ若者が可能性を感じる職業にできると語る小田原で300年続くみかん農家 秋澤 史隆(あきさわふみたか)さんのインタビュー。
真夏の昼下がり。ご自宅の前での秋澤史隆さん
小田原で300年続いているみかん農家の秋澤隆文さんに、若くして就農することを選んだ理由や日本の農業を取り巻く課題、秋澤さんが見ている農業の未来についていろいろと聞いてきました!
秋澤さんも学生のころは就農することに迷いがあったといいます。しかし、今は農業には可能性しか感じない!もっとたくさんの人が農業に関われるようにしていきたいと熱く語ってくれました。
持続可能な食と農の環境とは何かを考え続ける秋澤さんは、真夏の暑い日差しよりもギラギラ熱い男でした!
ぜひお楽しみください。
聞き手:たいせつじかん編集部
■海外で農業の現場を見て気持ちは決まった。
学生時代を思い出を語る秋澤さん
-お話をお聞きして驚いたんですが、秋澤さんは300年続くみかん農家なんですよね?
秋澤さん:そうなんですよね。私の先祖は300年以上前からこの地で生きてきて、山も家も当然みかんの木も代々守ってきたんですね。
ーすごくロマンのあるお話です。
秋澤さん:すごく尊いことだなと「今となって」は感じますね(笑)
ーということは、やはり家業を継ぐということに多少なりとも迷いはあったんですね?
秋澤さん:学生のころは、友だちのほとんどがサラリーマンの家庭の子ですからね。違いは感じていました。でも、高校を選ぶときに普通科に行くか農業高校に行くか迷っていたときに父親に農業って楽しいのかって聞いたんです。
「おれはこんなに楽しい仕事はないと思っている。だって、自分のやりたいことをやって、がんばった分だけ稼げて、何よりもみんなから“おいしい”“いつも有難う”って直接感謝してもらえる」と言われたんです。また、父親が働く姿を見ていると本当に楽しそうに仕事をしていたので、農業も悪くないなと思ったんです。
そのようなこともあり、高校は農業高校に行くことにしました。
高校は、バイオテクノロジーの研究をすることができ、この分野にとても興味をもったので、大学も東京農業大学に進んで引き続き農業に関することの学びと、教育にも興味があったので教職課程を履修し教員免許をとりました。
ー学生時代に学んだことをお聞きすると、研究者や教師になっていてもよさそうですが、ここから農業を志す経験をされるんですか?
秋澤さん:当時は、若いうちに海外の農業の現場で働いてみたいと思っていました。そのため、学生時代にはアフリカ、東南アジアなどの発展途上国を長期休みに周り、休学し南米アマゾンからアルゼンチンまで1年間滞在したり、卒業後にアメリカに2年間、約4年間世界の農業の現場で働きながら学ばせてもらいました。ここでの経験がベースになって農家になることを決意しました。
海外での生活について語る秋澤さん
ーやっぱり、海外での農業は違いましたか?
秋澤さん:スタートは、長期休み期間中にアフリカや東南アジアの現地で、最低1カ月農業のお手伝いしながら旅をしたんです。どの国も日本と比べると豊かではありません。物資もありませんが、農業はしっかりと営まれていました。
さらに、アマゾンでの経験が大きく私の考えを変えました。
大学では「海外移住研究部」という部活で活動していました。その部活を通して、国際協力とは、その地に移住し現地の人たちと町を興していくことだという考えをもとにし、実際にアマゾンに移住し、開拓し、町を興した4人の先輩のことを知りました。その先輩を実際に訪ねてみたんです。
そこで見た景色は、衝撃的でした。アマゾンの奥地で、4人の農場主としての先輩たちを中心に大きな町ができていたのです。そのときに、食べ物を作る=農業とはすべてのはじまりで、それさえあれば新しいコミュニティーを作ることができるのだということを知ることになったのです。
よく考えてみれば、300年前の私の先祖もこの地で農業をはじめ、町を作り今の私たちにつながっているのだと考えると、農業という仕事の見方が大きく変わりました。
ー農業を中心に新しいコミュニティーが作られている場を目撃されたんですね。
秋澤さん:そうですね。さらに、南北アメリカ滞在中は、効率的に広大な畑を管理し、膨大な量の収穫をするような農場でも働きました。遺伝子組換え食品を育てる農場や、農薬はセスナでさっと撒いて終わり、というような、効率重視の農場の現場、世界市場である産業としての農業を肌で感じました。
こういった農場があるというお話を耳にされた感想はいかがですか?
ーあまりいい気持ちはしないですよね。
秋澤さん:日本に住んでいる限りはそのようなご意見をおもちになることは当然のことと思いますが、アフリカやアジアにある貧しい国を周ったあとでは、これも全否定はできないなと思うようになりました。
どういうことかというと、まだまだ食べ物が足りない人たちが多くいるんです。ただ、農薬はだめだ、遺伝子組換え食品はだめだといっても彼らは救えないんです。時として効率的な農法も必要なんだということも知りました。
ーすごくむずかしい課題ですね。
秋澤さん:そうですよね。だからこそ、農業って未来を創るんだと思ったんです。子どものことを考えて、何かをしたいと思ったときに、農業で貢献できることはたくさんあることに気がつきました。
ー食べることは、生きることの根源ですもんね。その食べ物を作ることはその根源に訴えかけることができるということですね。
秋澤さん:その可能性が大いにあるんだと思っているんです。そのために、今からできることをとにかくいろいろやっていきたいんです。
■従来の農産物の流通を疑え。やりたいと思ったことを行動にうつしてみる。
収穫期に向けて間引いたみかん。以前は、捨ててしまっていたそうです。酸味がさわやかでおいしかったです!
ーアメリカでの生活を終えて日本で就農されたのだと思うのですが、その後のお話をお聞かせください。
秋澤さん:帰国後に実際に実家で農家として働くわけですが、ひとつの疑問が頭をめぐっていました。
ーどういった疑問でしょうか?
秋澤さん:果樹は全般にいえるんですが、おいしい実をつけるまでに10年以上かかることが当たり前なんです。とくにみかんは時間がかかるので、20年から30年くらいのみかんの木がおいしい実をつけるんです。
私たち果樹農家は、世代を超えてみかんの木を植えるんです。今はたくさんみかんが収穫できても、その木が衰えてしまうと、その木からおいしいみかんは収穫できなくなってしまうわけです。そうならないように、将来を見据えてみかんの木を植えるんです。世代を超えて、この連鎖が続いているのです。
ーとても時間のかかるお話ですよね。
秋澤さん:そうなんです。でも、スーパーにならんだときに値段はどうでしょうか?30年かけて作ったみかんと、数時間で大量生産されたドーナツと値段が大きく変わらないんです。
作る側からしたら、気持ちのいいものではありませんが、怒ってばかりでは何もはじまりません。
当時、アメリカからやってきた大きなドーナツチェーンが連日の大行列だというニュースをやっていて、何が違うのかととても興味がありました。ですから、そのチェーンの会社で4年間働くことにしました。
秋澤家自家製の梅ジュース。最高においしかったです!
ーえっ、秋澤さんがですか?
秋澤さん:そうです。違いを実際に体験しなければわからないし、口だけでは何も変わらないので実際にこの目で見て、経験することで何かが見つかるかもしれないと思いました。
そこで、商品開発・店舗マネジメント、マーケティング・人事などさまざまなことを経験させてもらいました。商品を販売するということはどういうことなのかを、たくさん学びました。
ー流行っているものには理由があるということを学んだということですか?
秋澤さん:そうですね。ここでの経験をどうやって農業に生かしていくかを考えた場合には、これまでの流通だけではだめだなと思いました。
農家は商品となる作物を、農協や市場に納めて終わりというのが従来の流通の形です。消費者が直接見えないんです。そうなるとどうしても、作ったものを「モノ」として見てしまいますよね。みかんはみかんでしかないんです。
でも、私たちが消費者と直接つながってみると、私たちの作った商品のさまざまな価値に気づかせてくれるんです。
たとえば、レストランにもち込んでみると、私が作ったみかんがいろいろな形で使われるんです。
夏場に間引くまだ青くて小さいみかんは、酸味が強いので、そのまま食べると少し酸っぱいですね。でも、レモンのない時期に代わりに使うと考えるとどうでしょうか?
ーなるほど、そう考えると酸っぱいことに価値が生まれますね!
秋澤さん:そうなんです。身近にレモンの代替となるものがあるのに、遠い異国の地から輸入したレモンを買って使うなんてなんかおかしくないですか?こういうことに気がつきました。
以前は、このように間引いたみかんはすべて捨ててしまっていましたので、これを販売するとなった時は、周囲の方からいろいろ批判もありましたね(笑)
でもね、みんな自分が作った商品には自信があるはずなんですから、しっかりと新しい付加価値をつけて新しい商流をどんどん作っていけるといいなと思いますし、まだまだ手つかずですから、農家には可能性が大きく広がっていると思っているんです。
■農業を中心に新しいコミュニティを作りたい。ここには資源が使いきれないくらいあります。
照れくさいと笑う秋澤さんとお父さん。笑顔がそっくり。
-日本の農業は、従事者の高齢化や後継者問題などたくさんの課題があるかと思いますが、秋澤さんの目にはどうのようにうつっていますか?
秋澤さん:まず、大学で農学部を選択した学生が就農しないです。でも、これって強要するものではないですからね、そもそも、若者に魅力を感じてもらえていないことが大きな要因だと考えています。
-でも、秋澤さんには農業こそ魅力的にうつるんですよね
秋澤さん:そうなんですよ。このことをいちばんに伝えたいんですが、なかなか伝えられないので、もどかしいですよね。
ーぜひ、たいせつじかんで伝えてください!
秋澤さん:うちの山にはなんでもあります。使いきれていない資源がいっぱいあるんです。これをつかって、あなたしかできないことをやってみください。自由に考えていいですよって言われている環境だと思うんです。
ーなるほど、具体的にやりたいことが見つかっていないならこの山でやりたいことを見つけたらいいということですよね。
秋澤さん:そうなんです。自分の得意なことや、好きなことと農業という「環境」をつなげて考えてほしいなと思っています。
すべての人に農業って当てはまるんです。ここにある価値を、自分のスキルと照らし合わせてほかにはない個性つけて、売り出すことできればそれが差別化になって付加価値になって商売になるんです。
繰り返しになってしまいますが、チャンスはたくさん転がっているのに誰もやっていないからこそ言えることだと思います。
ーお話をうかがって気がついたんですが、秋澤さんのおっしゃる農業って作物を作ることだけをいっていないですよね?
秋澤さん:そうです。そうです。作ることが好きな人が作り、料理が好きな人がその作物を違う価値の商品に作り、人と接することが好きな人が商品を売ればいいのです。
その人の個性を最大限に生かして働けるんです。
でも、今は農業には人手が不足しているので、新しい付加価値を生むことに時間を割けないので、作物を作ることしかできていないのが現状なんです。
ーでも、最近は仕事観の変化から就農される人も増えてきているようなお話も聞きますがいかがですか?
秋澤さん:確かにここ10年くらいはビジネスとして農業が見直されたという側面もあると思いますが、その分撤退されている人も増えていることが現状ですね。
でも、農業を仕事にするかどうかは別として、「自然とともに生きる」ということに対するニーズは増えていると思います。
たとえば、ここであれば食べる物を自分で作り、家もテーブルも椅子もすべて山から切ってきた木で作ることができます。
まず、そういう生活を体験してもらってその豊かさを実感してもらえれば、もっとたくさんの人が農業を中心としたこのあたりの生活も悪くないと思ってもらえると思うんです。
そして、少しずつ人が関心をもち、集まってくることで新しいコミュニティーを作ることができます。
ー「自然とともに生きること」を実現する方法として、今は存在していない新しい選択肢を作ることできるんですね。
秋澤さん:そうですね。いろいろな生き方があっていいと思いますが、今は都市で物質的な飽和状態の中での生活以外に選択肢がないと思うので、その逆の選択肢があってもいいと思います。
それをここで作ることができたらいいなと思います。
ー今日はありがとうございました。
編集部のひとこと

ライター
ゆめちゃん
300年以上つづく農家の家に生まれた秋澤さんは、世界中を旅して周って農業のすばらしさを再認識し、さらにその経験を発展的に考え、自分が農業を通じてこれからの未来にどのような貢献ができるかという視点で常にお話をされていました。
農業などの第1次産業には、未来しかないし、みんなの生活を変えることができるという熱い言葉にこちらも胸が熱くなりました。生き方も働き方も多様性が受け入れられるようになりつつある現在では、環境さえ整えばもっと好きなことに人生を賭けられる人が増えてくる。秋澤さんのように今よりもいい未来をみんなで作っていきたいと声に出して言っていいのだとあらためて思ったインタビューでした。
編集部メンバー
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ふたりの子どもがいるワーママ。お酒が好き。とにかく声が大きい。 |
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家事全般、特に料理が得意な新人ライター。気も声も小さい。 |
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好奇心旺盛。食べ歩きや女子会が大好き。いつもTシャツ。 |